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「あら、田中さん。今日は少し寒いですね」
篤子は、やっとの思いで昼から店を開けた。店内のガラスのショーケース越しにお客様に喋りかける。
「急にねえ。朝から主人がここの餡子買ってこいってうるさくてね。焼き餅と食べたいって言うの。この季節になるとねぇ」
田中さんはご近所さんで常連だ。
「ご主人、あれから大丈夫でした?」
篤子が声をかけると田中はシワを隠すことなく笑った。
「ええ。お陰様でね、お医者さんもこんなに元気なら入院することいらんって。タバコやめろって言われてね」
「まあ、それは一番難しい」
「そうなのよ」
そう言って、笑い合う篤子。
なんの事はないこの日常が、一番大切だと肝に銘じてやってきた。常連さんは舌が鋭い。少しでも出来が悪いとすぐに指摘されるから、手を抜けない。
「餡子だけで良いの? 今日から柿大福もしてるけど」
「あら、じゃあ2つもらおうかしら」
篤子は手際よく包装して渡す。
「そう言えば……午後からの開店だったわよね。珍しくない? どしたの?」
「ああ、この歳になると寝過ごしちゃってねぇ。お父さんに叱られるわ」
「そうなの。まあ、たまにはいいじゃないの。休み無しで毎日やってるんだから。篤子さんは偉いよ」
「いつもありがとね」
その後、少し話をしてサービスに小さな羊羹もつけた。とても喜ぶ田中さんは、「また来るわ」と言って去っていく。
店内は、少しの生け花と控えめな照明になっている。暖簾入ってすぐに半生和菓子がショーケースに綺麗におさめられており、レジのほうには生和菓子を、と昔からしている。干菓子なんてほとんど取り扱わない。どら焼きくらいだろうか。
そこへ哲也が顔を出した。今まで志乃がそばに居たから言わなかったものの、つい客が居ないのをいいことに篤子は話しかけた。
「今朝、志乃さんと話したんだけどね」
「あ? うん」
「あんた、うちの店で落雁メインにするって言うのよ! 知ってたの!? あんた」
篤子が詰め寄ると、明らかに渋い顔をする哲也。
「ああ。いいんじゃないかって思ってる」
「な……!」
「あのさ、今どき生菓子だけじゃ無理なんだよ。うちの未来のために考えてくれてるんだ。彼女は。母さんは何か不満なのか?」
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