10

8/9
前へ
/239ページ
次へ
「ママ、パパは会いに来てくれたんだよ? 一緒におうちに入らないの?」  警戒心のない七菜は、ぎゅっと哲也に抱きついている。そんな娘の姿を見ると、言いたいセリフの数々がバラバラと崩れ落ちる。 「七菜。パパはママの忘れ物を届けに来たんだ」  哲也は、手に引っ提げていたものを莉子へと差し出す。 「これは……」  アルバムだった。 「志乃が捨てろってうるさいからさ。こっちに持ってきたんだ」 「ん? なに? あ! ママとパパと私の写真だ!」 「……七菜、降りてこっちへ来なさい」 莉子は、今すぐに離れて欲しかった。 「なんで? パパと一緒にいたいよ」 「いいいから! 早くこっちへ来なさい! 哲也、わざわざありがとね。捨ててくれても良かったのに。こちらで処分させてもらうわ。もう帰って」  七菜は何かを感じ取ったのか、不安そうな顔でこちらへトボトボと歩いてくる。莉子は、その手を握ると哲也に向って、「もう二度と来ないで」と言い放った。 「もう来る気もないよ。ていうか、莉子さあ、こんな小さなアパート暮らしなんて笑えるな」 なんて言い方をするんだ。この人は。莉子は、サッとアルバムをひったくるようにして受け取る。 「こっちはこれでも一生懸命生きてるのよ。そんな言い方しないで」 「七菜、ママとの二人暮らしは大変だと思うけど、しっかりな。七菜はママみたいになっちゃダメだぞ?」 「なんで?」 不思議そうに訊く七菜。 「頑固な女にはなるなよって事」 「がんこ……」 七菜はその言葉を繰り返した。 「変な事言わないで」 莉子は唸るような声をあげた。 「だって、そうだろ? 莉子は和菓子屋を経営する事は不向きだったんだ。俺も当時はすごく悩んだよ。どうやったら上手くいくんだろうって」 「私に非があるって言いたいわけ?」 「いや、別に」 哲也は不敵に笑った。 「ただ、鷹村家の志乃さんを見てると何もかも違うなあって思うんだ。あの家の為に一生懸命やってくれる姿を見てると……俺は莉子と結婚したのは間違ってたんだなって」 「あなた、七菜の前でなんて事言うのよ……」  「じゃあな」と、哲也は愛情のかけらもない態度で去っていった。 「パパ……」  その背中を七菜がさみしそうに見送る。 「なんで……」  なんていう人なの。 莉子は腹立たしくなって何もかも蹴散らしたい衝動に駆られた。 あの男はあんな風に七菜を傷つけておきながら、更にこんな話をするんだ。たかがアルバムなんて、さっさと捨ててしまえばいいのに。 きっと、どんな生活をしているのか偵察に来たんだろう。そう思うと、何とも言えない感情が荒ぶり吹きすさんだ。 「ママ……」 「ママ、じゃないでしょ! お母さんって呼んで」 「……うん。ごめんなさい」  せっかく素敵な時間を過ごしてきたのに。幸福感がぺしゃんこになって、二人で狭い我が家へと入る。 七菜は気を許すとつい「パパママ」呼びになってしまう。もう赤ちゃんじゃないのだから、きちんとお母さんと呼ばせたい。やっと板についてきたところだったのに。 「捨てたらいいのに……」 こんなアルバム。莉子は放り投げたい気持ちになった。
/239ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1211人が本棚に入れています
本棚に追加