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 それからしばらくして、緑のおじさん夫妻は家を売って遠くに引っ越した。かつて息子と一緒に暮らした街にはいられなかったからだった。 「息子は生きて罪を償うべきだったと思います。轢いてしまっても逃げることをせず、その場で立ち止まっているべきでした。しかし、故意なのかは不透明ですが、息子もまた事故によって命を落としてしまいました。償うことなくあの世へ行ってしまったわけです。なんとも、情けなくて残念で、悲しい話です」  緑のおじさん夫妻は引っ越しに伴って仕事も変え、小さなアパートでひっそりと暮らすことにした。せめてそれくらいしなければ、息子によって殺されてしまった子供が報われないと思ったからだ。 「私たちも死ぬべきか、何度も考えました。死んでお詫びすることしかできないとさえ思いました」  しかし、事故が起きてから一年ほど経ったある日。緑のおじさんが朝散歩をしていると、子供たちを守るようにして横断歩道の横に立っている人を見かけた。その人は「おはようございます!」と活気ある挨拶をしながら旗振りをしていた。 「そうか、世の中にはこんな活動をしている人たちもいたんだと、改めて気づきました。これは私の身勝手な気持ちかもしれませんが、私が旗振りをして子供たちを守ることができたら、二度と子供の命が奪われないようにできるんじゃないかと思ったわけです」 「それで、緑のおじさんになったんですね」 「ええ。以来、私はずっとこの服を着て活動をしています。前は妻もやっていましたが、それこそあなたが子供の頃に亡くなってしまって」 「ああ、そうだったんですか」 「妻が死ぬ際、どうか身体が元気なうちは辞めないでほしいと言われました。その遺言もあって、私は辞めないでここまでやってこれました」   とはいえ、と緑のおじさんはこめかみを指で掻きながら、「困ったもので」と嘆くように言った。 「最近、足の調子が悪くなってしまいまして。もう、だいぶ歳なんでしょうけど。いや、まだ気持ちは若いんですよ。ですけど、身体は確実に老いてしまっているようです」  緑のおじさんは、いつの間にか緑のおじいさんに変わっていた。それは僕も感じていたことだった。 「後取りとかいるんですか?」 「いやあ、どうだろうね。おそらくいないんじゃないかな」  つまり緑のおじさんが引退すると、あの横断歩道を守る人間はいなくなってしまう。 「あの」  僕はまた衝動的になる。何かが僕の背中を押してくる。 「僕が代わりにやりましょうか?」  ずっと安定でノーストレスな生活だったが、僕はどこかで刺激を求めていたのだ。知らない世界を知りたくなっていた。だから僕は緑のおじさんに声をかけたのだ。 「でも、お仕事は大丈夫ですか?」 「はい。僕はデザイナーで家で仕事をしているので、その辺の融通は効きます。それに」  溢れ出る気持ちはすべて本心だった。だからこそ、言葉にしてしっかりと伝える必要があった。 「僕もおじさんみたく子供を守りたいので」 「そうですか」  緑のおじさんは僕の言葉を噛みしめるように何度か頷いてから、「それは、ありがたい話です」と言って、目元を細めた。
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