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 学校へ登校するために横断歩道を渡る子供達。そんな彼らを、車から守っているのが、緑のおじさんである。緑のおじさんは月曜日から金曜日の朝に横断歩道の横に立って、子供たちを安全に渡らせる役割を担っている。朝の時間は慌ただしく、急いでいる車もある。横断歩道を渡ろうとしている人に目も向けず、そのまま進んでしまう車もしばしば見かける。緑のおじさんはそんな車を抑制することで、未然に事故を防ぐことができる。  もし、横断歩道を渡ろうとしている子供が車に気づかなかったら。あるいは横断歩道を渡るときは必ず車が止まってくれると信じて渡ってしまったら。渡る人間は決して悪くない。悪いのは、横断歩道で止まろうとしない車の運転手だ。  だが、どちらも人生に大きな傷を負ってしまうことに変わりはない。轢かれた方は下手すれば死ぬかもしれない。轢いた方も重罪を背負いながら生きていくことになる。被害者も、加害者も、悲しみを募らせるだけだ。  もちろん、ここまで深く考えるようになったのは、僕が大人になって運転免許を取得してからだ。それまでは緑のおじさんに感謝をすることもなかった。ただ、毎朝挨拶をしてくれるおじさんくらいにしか思っていなかった。だが、緑のおじさんは僕が思っている以上に重要な存在であり、幼き頃の僕を守ってくれていたのだろう。  僕がこの街で生まれてから、もうすぐ二十五年が経つ。小さい頃はわんぱくだった僕も大人になってすっかり落ち着き、今は主に家でウェブデザイナーの仕事をしている。実家には両親と猫がいて、正直不自由なく暮らしている。東京で一人暮らしをしながらバリバリ働く友人や、長野県の果樹園で働く元カノに比べると退屈な生活だが、見慣れた景色で仕事ができる分、ほとんどストレスのない生活だった。  僕は時々夜中に仕事をして、昼間に眠ることがある。深夜の方が集中できる上に、夜風に当たりながら作業することが好きだからだ。そして仕事終わりに白い光を放つ朝日を見ながら朝食を食べて、固まった身体を動かすために外へ出る。それがだいたい七時三十分くらいで、ちょうど子供たちが小学校へ登校する時間だった。  僕の散歩道は、僕が通っていた小学校の付近も通る。そのとき、必ず緑のおじさんを見かける。小柄で金縁のメガネをかけ、緑色の帽子からは白髪がはみ出ている。おじさんというよりもおじいさんになってしまったその人は、僕が小学生の頃からずっといて、月曜日から金曜日までの毎朝、横断歩道の横に立って子供たちを車から守っている。かれこれ二十年以上はいる緑のおじさんは、雨の日も緑色のカッパを着て子供たちを学校へ導き、風が強い日も大声で「おはようございます」と言いながら子供たちを見送っていた。    雨にも負けず、風にも負けず。まるで宮沢賢治の詩を再現したようなおじさんに、僕は陰ながら畏敬の念を抱いていた。僕には到底できないことだからだ。
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