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07
だが、ここ数日はその綺麗な顔にも日々の疲れが蓄積していた。どうにも作業が進まずに、手にしていたハサミを再び作業台に置く。集中できない頭でいくら頑張ってもいい物はできない、と浩輔ならそういって手を止めるだろう。
(夢なんてあまりみないのに。やけにリアルだったな)
なんだか気分が落ち込んでしまい、作業の進みがいつもより悪い。やりかけのアレンジメントにケリをつけ、片付けることにする。中途半端でごめんね、と呟き、藤崎は店の奥の事務所兼自宅へと向かう。上がりかまちに足をかけたところで、勝手口の呼び鈴が鳴った。
「……はい」
『俺、俺』
「俺俺さん、なんて知りませんけど」
『ちょっ、あなたの誠二がやってきましたよ』
部屋の勝手口の向こう側で情けない男の声が聞こえた。藤崎は、フフっと笑いながら施錠を外す。
「ひどいなぁ、こんないい男を知らないだなんて」
扉を開けると長身の男が、どこか脂下がったような笑顔を浮かべている。
「来ると思ってました」
美澄を見上げると、彼は相変わらず寝癖なのか癖毛なのか分からない個性的な髪型をしていた。垂れた目尻が笑うとさらに下がり、人好きのする顔になる。
「はいはい、ちょっとお邪魔しますよ」
ドアよりも身長のある美澄は、会釈するような仕草で頭を下げ部屋へと上がり込んでくる。またこんな時間なのか、と藤崎は呆れながらも彼を部屋へ招き入れた。
(本当に、この人はいつまでたってもこうなんだよなぁ)
勝手を知ったるで上がってくる美澄は、東京都生花協同組合の会長の息子だ。といっても特別に何か権力を持っている訳ではなく、普通に卸しの仲介の仕事をしている。藤崎も仕事関係で彼には頭が上がらないくらいお世話になっているので、多少強引なところは大目にみてしまう。
知り合ってしばらくしてから、同じ大学の何期も上の先輩だと分かった時は、その偶然にとても驚いた。その頃から美澄は全然変わっていない。人との距離感を上手く保ち、器用でそつなく勘のいい男だった。
いつもどこか掴み所のない物腰のやわらかい口調は、相手を傷付けないようにという処世術なのだと思っている。冗談ばかり言うところも彼なりの気遣いで、そういうやさしい部分に随分と助けられていた。
六歳も年上の彼には、多分すべて見透かされているのだろう。そしてそれを気付かないふりでスマートに行く先を示してくれたりする。人としての経験値の差なのかと考えれば、どう背伸びしたって彼には叶わないだろう。
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