美しいものは余白にある

1/1
前へ
/7ページ
次へ

美しいものは余白にある

第73回ベルリン交際映画祭 金熊賞(最高賞)受賞作品 『アダマン号に乗って』の 映画監督ニコラ・フィリベール氏は 『週刊金曜日』の最新号の中で 「美しいものは余白にある」と語る ここで簡単に アダマン号について説明する アダマン号は パリのセーヌ川に浮かぶ デイケアセンターの船 精神疾患のある人々を無料で迎え入れ 文化活動を通じて 彼らの支えとなる時間と空間を提供 船内では絵画教室や音楽教室 詩のワークショップなど 様々な文化活動が開催され 患者たちが自由に過ごしたり お互いに交流したりできる スペースも用意されている 精神疾患のある人々にとって かけがえのない存在となっている さて この映画は 「大切なのは余白を持つこと」 という フェルナン・ドゥリニィ (フランスの作家) の引用から始まる 僕は残念ながら この映画を 見る機会を持てずにいる が 彼らの思想の尊さを 『作家道』の最後に 書き記しておきたい その記事で 実際にアダマン号で働いている 臨床心理士のリンダは 「今の社会では 数字 効率性  経済性が重視され  人間性が軽視されている 」 と語る 具体的な例を挙げると 誰かに 何かを 質問する 彼は 答え を語り始めるまで ためらったり 言い淀んだり 視線の先に いろいろな何かを 思い描いたりする テレビはその余白を許さず 意味のあるフレーズだけを 切り取ってしまう 「美しいものは余白にある」のに 例えば僕が この1ページを 書こうか 書くまいか 数日 迷ったことは事実だ 何を言おうとしているのか 今までのページに比べると わかりにくいのではないか と 心配したからだ けれども やっぱり 書こうと決めた背景には エブリスタ社会の中で 弱く震えている人々の存在が 心に引っ掛かったからだ 僕自身の具体的活動を止めて 目を閉じて 他人の哀しみを 空想する時間は 無意味だろうか 声にならない 小さな声に 耳を傾け 手を差し出そうか 戸惑い 葛藤する 僕の弱さ は 生きてゆく上で 意味をなさないか そんなふうに 心が 行きつ戻りつ 何も生み出せずにいる淀んだ時間こそ 『美しい余白』ではないのか 結論 だけを聞いて 感動 する人は いない 『作家道』に話を戻すなら 物語の 結論だけを 読んで 感動する人など いないのだ その結末 結論に至るまでの 紆余曲折した 迷いや 葛藤 血の通った人間の 痛み 病 疲労 衰弱 怠惰 惰眠 等  様々な言葉にできない空虚を 詩的 絵画的 音楽的 触覚的 な 神経の そよぎ を 行間から 読み取れる作品  そこはかとなく共感できる作品 に 人は感動するのではないか 答え や 結論 を ただ 効率的に 追い求めるのは 科学者の仕事だ 芸術家の仕事は なかなか結論を出せずに ダラダラと思い悩む 生臭い人間が 七転八倒する そんな『美しい余白』に 旨味を詰め込むことだ 僕が このページを書いたのは 弱さを嘆く たった一人の誰か 醜さを恥じる 真正直な 誰か 病を苦にする 今も辛い 誰か そうした誰か にも 大いなるチャンスはあるのだと 心の底から伝えたかったからだ 『作家道』は 決して 強い心 優れた才能に恵まれた 人間にだけ開かれた道ではない 経済効率を最優先する社会では なかなか役に立ちにくい 多様な問題を抱えた人々の 自由な生き方と幸せになる権利を ではなく できる人間が 一人でも増えることで 『美しい余白』を内包した社会は 確実に 育っていく 『美しい余白』とは そうした社会の象徴ともなる SDGs にも通じる概念である 僕は そんな『美しい余白』を 一人でも多くの方々と共有したいと願い このページそのものを 『美しい余白』として 作家道の最後に付け加えることとした 「僕も弱い男だが  弱いなりに死ぬ迄やるのである」 いみじくも大文豪 夏目漱石の言葉である
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

39人が本棚に入れています
本棚に追加