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「先の見えない道って、不安じゃないの?」
桜の花びらが舞う目黒川のほとりで、志穂はそう聞いた。
「ううん。俺は見えない方が楽しいな。わくわくするよ」
柊人は答えた。続けて、会社の先輩に言われた言葉を言った。
「道は『未知』なり。岐路に立ったならば、先が見えていない方を選べ。可能性は『未知』であるほど、無限に広がっている」
「だから、農業の道へ?」
「昔から興味はあったんだ。でも、安全な道ばかりを選んできた」
大学を出て、苦も無く内定をもらえた大手メーカーに就職。安定を手に入れた。
「不思議なものでね、男って、安定を手に入れると物足りなくなるもので」
「そんなもの?」
「ほら、君も言ってたろ? この間入った農家カフェで。こんな店、いつかやってみたいって」
「ああ、言ったね。でもスゴイよ。一人で未知の世界に飛び込もうなんて」
「一人じゃないさ」
柊人はじっと志穂の目を見つめて、
「一緒に『未知なる道』を歩いてくれないか?」
「えっ……」
志穂は戸惑ったように目を泳がせ、「少し考えさせて」とだけ言った。
1年後の春。信州の畑を耕している2人がいた。
柊人と志穂は、地元の自治体の募集に応募し、農業を始めたのだ。
「わくわくするね」
「そうだろ? この先にはいくつもの道が開けてるんだ」
「来年の春には、カフェでもやりたいな」
「気が早すぎだろ。まずはしっかり基盤を作るよ」
さらに10年が経った。
信州田舎町の一軒の農家カフェを、一人の客が訪れた。
「ああ、先輩、いらっしゃいませ!」
入ってきた客の顔を見て、柊人は驚きの声を上げる。昔の会社の先輩だった。
「立派なカフェじゃないか」
「ありがとうございます。会社員時代の先輩のあの言葉があったから、今があるんですよ!」
「なんか照れるな」
「先輩は、今どうしてるんですか?」
「俺?オレか……聞くなよ。係長だよ!」
「えっ、俺がいた時と同じじゃないですか」
「それを言うなって」
店内に、3人の明るい笑い声が響いた。
これでゴールじゃない。柊人には、まだまだ『未知なる道』がある気がしていた。もちろんそのロードサイドがどんな景色なのかは『未知』なのだけれど……
(完)
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