無言、無音、そのさきは……

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 ──非通知着信。 「げっ、またきた」 「なに、またきたの? 謎の非通知無言電話」 「マジで萎えるんだけど。無言てか、音がしないときあるんだよね。こうさ、防音が効いた部屋が……電話の向こうにある感じ?」 「非通知電話を着信拒否したらどうよ」 「無意味。なんでか繋がる。無視してるけど、なんかいやだよね」 「マジで怪異じゃん、無視がいいけどマジヤバいなら警察にも相談だよ」  軽快に笑う女子高生たちの話の内容に耳を傾けながら、大手コーヒーチェーン店の新作ドリンクを飲む深海静也(ふかみしずや)はドリンクのなかに入っている果肉が上手く吸い込めずに諦めた。 「俺と同じ現象ってか」 「……あちらのほうが、まだマシなようですけどね」  恐怖に染まることのない声は、ただの間違い電話の類いか、ストーカーかと話をしている。そんなかわいらしくも、生きた人間が一番怖い話ならば静也はきっと目の前で嬉しそうに期間限定のふわふわ生地のドーナツにストロベリーチョコレートとホワイトチョコレートがふんだんにかかり、その上から苺のドライフルーツのようなものがかかっている見た目から女子力の高いドーナツを嬉しそうに食べながら、同じく期間限定の人気アイスドリンクを飲む男には依頼をしなかっただろう。 「高瀬さん、甘いのすきですか」 「脳みそを動かすのには最適ですよね。糖分。そうでなくても甘いものは好んでいます。ご依頼ですが、先程席を立たれた女子高生たちの会話内容に酷似していましたが、詳しくお伺いしてもよろしいですか?」  食べ終えたドーナツの皿をテーブルの端に置いた高瀬千夜(たかせちよ)が切り出した。 「はい。始まりはいつだったかわからないんですが……」  始まりはいつだったか定かではない。  突然非通知から電話がかかってきたのを覚えている。連絡を取り合う人たちは大体LINEで連絡がくるし、非通知から連絡を受けるような記憶もないが、万が一にも必要な連絡だったらいけないと思い着信にでたのが始まりだった。 「もしもし?」  訝しげな声で相手に声をかける。無言。ガサガサと鞄のなかで間違えて電話がかかってしまったようなノイズが聞こえるばかりで人の声は聞こえない。数秒そのまま待ってみたがガサガサとビニ-ルやファイルのような固いものが擦れる音しか聞こえず通話を終了させた。  最初こそ、気持ち悪いが間違い電話かなにかと思い、着信履歴を消していたが何度も同じような無言電話が何度か続き、さすがに苛立った。  嫌がらせにしては手が込んでいる。新手のストーカーか、詐欺かなにかかと考えながら通知をミュートにした日の夜十時。  着信の通知が鳴り、何気なく、夕飯の支度を終えた流れで応答した。  ──ザザッ……ガサ、ガサガサ……ザザ  ビニールに入ったなにかが、人の歩く速度で音を立てている。通話相手は喋る気配はなくむしろ電話をかけたことに気づいていない。いつもの無言電話だと思い通話を終了し、苛立ちながら非通知電話番号をブロックしようと設定を開いて慄然とした。 「俺、当日の昼にイライラして非通知の電話番号を着信拒否して、着信音をミュートにしてたんです。なのに音も鳴るしなんでか着信表示されるしで……。そっから、色々調べたんですけど、掛かってくる曜日や日にちは規則性はないし、一日に何回掛かってくるって回数もまちまちなんですけど、絶対夜十時に掛かってきてるんです」  独り暮らしをしている静也が、一人でも起きている時間帯だ。 「なるほど。ちなみに情報の開示請求をされたことは?」 「ありますけど……スマホには着信履歴があるのに携帯会社からはそんな情報はないっていわれました。毎回着信拒否すればいいんですけど、なんか無意識に出てることが多くて。着信に出てから気づくんですよ。いつもの非通知だって、だから気持ち悪いし睡眠不足にもなるから電話番号買えようかなって思ってたんですけど。昨日はさすがに怖くて」 「昨日、なにか変化がありましたか」 「今までは、荷物のなかでスマホがなにかで誤タップして電話が掛かってきている感じだったんですけど、昨日は無音でした。誰かが間違えて電話かけるっていうか、こう……防音ルームみたいに静かだったんです。呼吸音もないし、いつもみたいな音もない。間違えたなっていう焦ってる感じもない、〝無音〟。それのなにが怖いって思いますよね、結構参ってるのかな俺……」  早口で話しながらストローで吸い上げられなかった果肉を潰す静也をまっすぐ見ていた高瀬は穏和に微笑んで、なるほどと応えた。 「そうですねぇ、たしかに弊社向きの話ではあります。一応再度のご案内なんですが、弊社のサイト……ホームページ? に記載がありますように弊社ではご依頼主さまに守っていただきたいお約束がございます」  淀みない操作で鞄から出したタブレットの画面にホームページを表示させ、静也に見せる。 「弊社こと、私が所属する会社は実店舗を持たないWebサイトでの運用形態で、無駄な人員と場所代を削減することにより安価で質のいい仕事を提供します」  失せ物探し、ストーカー被害のご相談、心霊現象までなんでもご相談ください。五百枝相談所(いおえそうだんじょ)というとんでもなく簡素な作りのサイトの【お客さまへのご案内とお約束】と題されたページは、ご依頼にないことはいたしません。ご依頼内容は正確にご入力ください。契約書にサインを必要とする場合は、契約完了時にご案内いたします。と太文字で記載されている。一度対面で聞き取りをするのは無料だ。 「こちらの内容で問題がないようでしたら、お客様のスマホからご依頼内容を入力していただき再度メールを送っていただければ契約は完了となります。料金は先にご案内しておりますが、基本料金は私どもの運賃のみ。別途で有料の商品をご案内させていただき、ご購入の流れとなります」 「はい、大丈夫です」 「かしこまりました。では、ご依頼内容の送信をお願いいたします。本日はありがとうございました」  朗らかな人だった。すごい甘党だけど。というのが静也から見た高瀬の印象だ。特別霊能力があります! という胡散臭い人でなくてよかったと思う。静也が五百枝相談所(いおえそうだんじょ)のサイトを見つけたのは偶然だ。ちょうどインスタグラムのリールを流し見していたときに素人が作った画像をそのまま載せているのが印象に残っていた。 「下手な霊媒系のサイトより判りやすくて、話早かったしよかったかも」  高瀬と分かれたあと、すぐに五百枝相談所のホームページから依頼書を送信し、最短で翌日から人員を派遣をしてもらえることとなった。 「いつから対応してもらえるか判るのっていいな」  今日を乗り切れば非通知電の無言電話をどうにかしてもらえる可能性ができた。それだけでも静也の心は落ち着く。あと何回着信音を聞けばいいのか判らないが、事態が進展したことが 嬉しかった。    ──非通知着信。  頻繁に電話がかかってくるわけでもないのに、なぜか応答してしまう。  また、夜十時だ。 「はい、どちらさん?」  ──……コンコン  金属の板をノックするような音がしてすぐに切れた。 「……えっ?」  自分の身体から血の気と体温が下がった気がする。自分の家のドアがノックされたときの音に似ている気がした。  気がつけばカーテンから日差しが入り込んでいる。昨日の夜にはきちんと閉めたはずなのに。 「ぁれ、なんで……寝てた……のか?」  ピンポーンとドアベルが鳴った。二度目のベルが鳴って、やっと現実の音だと気づき慌ててドアを開けた。 「おはようございます。深海さま、五百枝相談所から参りました。昨日から引き続き対応させていただきます、高瀬千夜と申します」  穏和な微笑みに、ほっと息をついた。なんとなく大丈夫だと思わせる何かが出ているような気がする。高瀬は落ち着いた色合いのスーツが似合う男だ。 「お、はようございます」 「……顔色が悪いですが、昨夜は眠れませんでしたか?」  すこし心配そうに頬を撫でられた瞬間に香った紅茶のような香りに、静也は自分の状態を思い出した。 「っ、寝起きでそのままなので、すみませんがそのままお待ちください!」  一人暮らしとはいえ、片付けているため部屋は大丈夫だろうが顔も洗ってない状態で高瀬に会うのは避けたかった事態だ。 「え、はい、お待ちします」  バタンッとドアを閉めて、顔に集まった熱を隠すように顔を洗い寝癖を確認して、昨夜シャワーすらしていないことを思い出してシャワーシートで身体と頭を拭いて服を着替えた。以前断水があったときに買っておいたお風呂に入れないときに使える拭き取りシートがあってよかったと思う。時計をみればもう昼前だ。 「すみません、あの、俺思ったより寝てたみたいでっ」  勢いよくドアを開けて高瀬に頭を下げれば、キョトンとされた。 「あぁ、いえいえ。私もすこし遅くなってしまいましたし、よろしければ先ほど買った中華まん、お昼にはすこし早いですが甘いのもお肉系もあります。まだ温かいのでいただきませんか?」 「え、はい……とりあえず中にどうぞ」 「お邪魔します」  玄関を入ってすぐ左に台所があり、そのまま部屋になっている学生寮のような造りの部屋は男一人には丁度よく便利だと静也は思う。段差の低い土間で靴を揃えてすみに寄せる。  高瀬はまだ湯気の立っている肉まんと、ペットボトルのお茶を静也に手渡し、背負っていたリュックを置いて座布団などない床に座った。 「人間は食事と睡眠が基本だと聞いたことがあります。昨日、何かあってイレギュラーな夜だったとすれば、ごはんを食べてリセットするのがいいと思います。本日購入したのは、肉まん、桃まん、角煮まん、あんまんです。ちなみにつぶあんですが食べれますか? お店にこしあんがなくて、ごまあんは私は好きなんですが一般受けがいいのかわからないので控えました」  淀みなく話しながら静也に紙袋の中身を見せる姿は成人男性というには幼い印象を与える。 「ありがとうございます。つぶあん、すきなんで嬉しいです」  他人に気遣われる擽ったさと、他人がいる安堵感で静也の肩から無駄な力が抜けていく。 「よかった。どんどん召し上がってください。落ち着きますよ」 「はい、いただきます」  無言で食べ進める。コンビニの肉まんの倍はありそうなサイズの肉まんを食べ、大きな角煮が入った角煮まんを食べながら目の前で食べる高瀬の健啖ぶりに目を見張る。 「めっちゃ食べますね、細いのに」 「あぁ、私は食事量と体力が見合わないので食べるときにしっかり食べないと途中で倒れるんです。ちなみに、この中華まんや昨日のカフェ代は会社負担なので気にせず食べてください」  ただ食べるだけなのに全身で美味しいと叫んでいるような姿に思わず頬が緩んで緊張感が溶けていく感覚だ。 「そうなんですか」  桃まんを食べながら、他は食べてくださいとジェスチャーすればうれしそうに高瀬が完食した中華まんの数を数えて思わず拍手を送った。 「いや、まじですごいですね、俺もう満腹ですよ」 「あはは、腹八分目くらいですかね。もう少し買ってきてもよかったかなと思いましたが、丁度よかったです」  買ってきたショップバッグにごみをまとめ、リュックから昨日と同じタブレットを操作していく。 「さて、食事も済みましたしご依頼内容の確認をさせていただきます。ご依頼内容は、非通知無言電話を辞めさせたい。という一点で承らせていただきました。本日よりよろしくお願いいたします」 「はい」 「昨日も申し上げましたが、ご依頼にないことはいたしません。ご了承いただきましたらサインをお願いいたします」  タブレットに直接サインを書き込みながら、昨日のいつもと違う無言電話を高瀬に伝える。 「あの、昨日の夜やっぱり十時に無言電話がきたんですけど、今回はノック二回でした」 「そうですか。ひとまずは調べないとなんとも言えません。以前から他人がいる時は無言電話がこないとのことでしたので着信を私のスマホに転送します。そうすれば、無意識に電話にでることもなくなると思います。私は近くのビジネスホテルに部屋をとっていますのでなにかあればご連絡ください。上手く着信転送ができない場合も同様に」  名刺サイズのカードに手書きされた電話番号と名前のみ書かれている。 「了解です」  静也が頷いたのを確認し、高瀬は微笑む。 「今夜はゆっくり眠れるといいのですが」  穏やかな声だった。  ──非通知着信。  応答のボタンを押せば、無音が続く。  ──ザ、ザザ……ザ  人が歩く速度で荷物が擦れるような音。  ──ガサガサ……  ビニール袋が擦れる音のような、普段ならば気にしない音がしばらく聞こえ、通話が終了した。 「……ふむ」  着信元を探るには充分な時間があった。 「これは、本物ということですか」  着信元不明。音声解析はできたが場所を特定できる音はなし。歩行とするなら人の歩行速度に類似している。という結果に高瀬は微笑んだ。   「あの、昨日たぶん非通知の無言電話あったんですけど」  朝、開口一番。静也は青ざめた顔で高瀬の腕を掴んで放さない。 「おや、私の方にも着信がありましたが、着信内容についてお伺いしてもよろしいですか?」  着信があった場合は高瀬に連絡をするという話だったが、それも儘ならない状態になったということなのかと高瀬は考える。青ざめるを通りすぎて白くなりはじめた静也の頬を撫でながら静也が話し始めるのをゆるりと待つ。 「昨日も、ノックが二回して、あの……音が、近づいている気がして、なんとなくなんですけど、あのノックは俺んちの玄関ドアからな気がして」  男一人とはいえ、夜もふけた時間に約束もなく、事前連絡もなく、チャイムも鳴らさずに玄関ドアをノックをする人が自分の玄関ドアの前にいるかもしれないと考えると静也は恐ろしかった。 「昨日、私が確認した無言電話は事前に伺っていたビニール袋が擦れるような音のみでした。着信時間を拝見するかぎり、私のところに着信が転送された時間と同じになりますね」  着信転送はうまくできているのに聞こえる音は違う。 「深海さま、本日はお部屋で一緒に電話を待ってもよろしいでしょうか?」 「え」 「実は昨日、着信元を解析したのですがデータがハッキリせず。深海さまのスマホから解析を試みた方がよいかと思います」  高瀬は変わらず穏やかだが、断れない雰囲気を感じる笑顔に静也はうなずくしかなかった。  静也は寝不足や課題提出を前提にバイトのシフトをしばらく休みにして貰っていた。リモートから対面に切り替えつつある大学の課題を片付けながら、隣で機材をセッティングしていく高瀬が気になる。ノートパソコンと、タブレットと、あとわからないものが邪魔にならないように床に置かれていくのが面白い。 「……警察とかも使う機材とかあるんですか」 「ありますよ。弊社は警察案件と判断した場合はすぐに警察と連携をとりますし、今回はまだ警察案件か判断ができないので……」  昼もすぎ、夕暮れ間近。暗くなる直前に電話が鳴った。    ──非通知着信。  今までは他人がいるときには着信はなかったと静也からは聞いているがなにか条件に変動があったのだろうか。 「はい」  静也が着信画面を確認することなく電話にでた。焦点の合わない目でどこかを見つめながら無言のまま通話している姿に高瀬は違和感を覚えた。まるで催眠術に掛かっているような印象だ。 「深海さま?」  どこを見ているのか、なにを聞いているのかわからない。セッティングした機材にはなんの反応もないまま時間が過ぎていく。  ──コンコン。  控えめに、だけどハッキリと聞こえるノックは部屋の玄関ドアから聞こえた。今日一日でも通路を通る人の足音やドアの開閉音が聞こえる部屋だと思ったが、ノックの前には足音は聞こえなかった。郵便や配達業者なら必ず呼び鈴を鳴らすだろう。 「……思ったより反応が早いですね」  困ったなぁとぼやく高瀬に焦りの色はない。  ──コンコン、コンコン、コン、コン  ノックがゆっくりと動き出した。角部屋の静也の部屋には右隣に部屋も通路もなく、左隣は入居者がいるらしい。ゆっくり、ゆっくりと一定のスピードで音が動いていき、玄関から離れて今は壁をノックしている。アパートとはいえ二階のコンクリート壁をノックできる人がいるだろうか。 「深海さま、深海さま、通話を切ってください」  高瀬の声は聞こえてないだろう虚ろな目の静也からスマホを奪おうとしても、奪えない。力んではいない静也に、高瀬はため息をつく。  窓、壁、床、天井、どこから音がしているのか、それとも全てから音がしているのか。鉄球で壁を殴るような音、砂利を歩くような音、ノックも続いているが窓の外は毒々しいほど紅い夕暮れ──逢魔が時だ。 「深海静也さま」  一瞬の静寂。静也の手のひらからスマホが落ちた。 「──っ、え、たかせ、さん?」  ──見つけた。とでもいうように静也が座る場所に音が集中する。 「な、んですかこれ!」  鼓膜が破れそうなほどの騒音に思わず耳を塞ぐが、鼓膜に響く音は増していく一方だ。 「深海さま、ご依頼完了となります」  一人だけ穏やかに、騒音など聞こえていないような高瀬の言葉に目を剥く。 「は? こんな、なんにも聞こえないような音がする部屋にしておいて、なにが契約完了なんだよ!」 「……この音は、深海さまの音です。それに契約内容は非通知無言電話を辞めさせたい。これ以上は契約外となり、私どもでは対応致しかねます」  赤紫の空がぬっそりと部屋を照らし、不明瞭な視界は境界を曖昧にする。 「じゃあ、もう一回契約を……」 「一度契約完了したお客様からの再度契約も致しかねます」 「じゃあ! この音どうしろってんだ!」  この音が続けば寝れず、家を引っ越そうにも先立つものがない。 「ところで、深海さま。先程から玄関ドアをノックされている方がいらっしゃいますよ」  高瀬の言葉に苛立ちながら玄関ドアを開け、夜よりも深い闇のなかに姿を消した。 「五百枝相談所をご利用ありがとうございました」  穏和に微笑んで高瀬はその場を後にした。  後日、新聞やネットニュースにて二十代男性の失踪事件が報道された。  ──鍵は開いたまま失踪した男の部屋から多くのスマホやPHSが発見され、複数の女性の盗撮写真が見つかった。未だ捜査中だが、男性によるストーカー被害も視野にいれて捜査され、その行方も捜査される。
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