Rituko

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Rituko

50を過ぎてから自分が女だということをたまに忘れるときがある。 化粧をしないで外出したり、上下スウェットでゴミ出しに行ったり。 まだ40代のころは女であることを意識してた気がする。 もう何年も恋愛してない。 お一人様を満喫している。 結婚願望なんかとっくに消えた。 でも老後は心配。 だからお金を貯める。 ここから先はそれだけの人生だった。 はずだった。 職場に本社からやってきた彼は15も下。 ギリギリ息子じゃない。 実に爽やかで、みんなから好かれてた。 女子社員にモテモテだった。 30代で独身はそれだけでモテる。 しかも優秀だし。 そのうち社内恋愛でもして結婚するんだろうなと遠巻きに見てた。 が、彼は可愛い子達に目もくれなかった。 「橘さん、今度飲みに行きませんか?」 これで3回目だ。 その都度何かしら理由をつけて断っている。 私みたいなおばさんと二人で飲みに行って楽しいはずない、と断り続けている。 あと周りの目が怖い。 しかし彼もなんで私なんかをそんなにしつこく誘ってくるのか、謎だ。 仕事の話なら会社ですればいい。 上司の悪口? うちの上司はできすぎてるぐらいできすぎた人だし。 「ごめんね、今日姪っ子が遊びに来るのよ。」 そう断った。 が、帰り際たまたま他の部署の同期達と会って飲みに行くことになった。 まぁバレないだろうと思っていたら、偶然店で彼とばったり遭遇してしまった。 目があった時、思わず顔を隠したが完全にバレている。 店を出てみんなと別れた後、彼に捕まった。 「姪っ子ちゃんはどうしたんですか?」 「あ、いや、なんか都合悪くなったみたいで。」 「嘘ついてまで僕と飲むの嫌だったんですね。すみません、気が付かなくて。」 完全に傷ついてる。 「いや、そうじゃなくて。その私みたいなおばさんと飲みに行ったってつまんないよ?」 「それを決めるのは僕です。」 「そ、それにほら変な噂たったら迷惑だろうし。」 「橘さんとなら光栄です。」 「私なんかとつるんで何のメリットがあるの?」 ついストレートに聞いてしまった。 すると彼にため息をつかれてしまった。 「橘さん、僕は年齢や肩書きなんかで人を見たことは一度もないです。この人と話がしてみたい、知りたいと純粋に思うだけです。信じてもらえないならいいですけど、僕は新入社員の時、初めてあなたを見たときからずっと好きでした。凛としてて、一本筋が通ってて、綺麗だなって、」 「え?新入社員の時、会ってたの?」 「10年間、橘さんに並んでも劣らない男になるために頑張ってきたんです。でも、まだ足りないみたいですね。」 「いやいや、杉原くんは十分優秀よ。だからこそ、私じゃないって思うの。」 「それも決めるのは僕です。橘さん、ちゃんと僕のことみてください。」 正直嬉しいと言うより怖かった。 そのまっすぐな目を向けられるのが。 でも彼にどんな言い訳をしても無駄な気がして、私は降参した。 で、彼と飲みに行くことにした。 「その代わり、私より先に酔っぱらったら二度と行かないから。」 と釘を刺しておいた。 先に酔っぱらったのは私の方で完全に負けたんだけど。 初めて私より酒の強い男に出会った。 「僕、九州男児なんで。」 「マジかよ。」 「二度と行かないって言われたからつい頑張りすぎました。ごめんなさい。」 「いいんだけど。一人で帰れそうにないから送ってもらっていい?」 と家の鍵を渡した。 家に着いて、水を飲んでると彼に 「僕は男として見られてないんだなぁ。」 と嘆かれた。 「え?なんで?」 「こんな簡単に家にいれるなんて。警戒もされてないってことでしょ。」 「あー、そっか。ごめんごめん。私、男兄弟に囲まれて育ったからついつい。」 「お兄さんいるんですか?」 「4人。弟が1人。子供の頃から女扱いされなかった。だから杉原くんのせいじゃない。」 「でも、お付き合いされた男の人いたんですよね?」 「そりゃいたけど。男友達の延長みたいな。いつも結局、女として見れないって言われて終わるのよ。」 「俺には十分女性ですけど。」 「そう見えるのも最初だけ。付き合いが長くなると杉原くんも気付くよ。」 「じゃあ、試しに付き合ってみませんか?」 「え?」 「付き合ってみないと分からないんで。」 私も酔ってたし、確かにそうかもと思ったり、でつい軽く 「いいわよ。」と返事してしまった。 「マジですか?後からやっぱりやめるとか無しですよ?」 「はいはい。女に二言はありません。何なら誓約書でも書く?」 朝起きたら、ちゃんと誓約書がテーブルの上にあった。 やってしまった...と思ったが仕方ない。 こうなったら素の自分をさらけだして彼に諦めさせよう。 そう決意した。 だから初めてのデートは私の行きつけの小汚ない居酒屋だった。 「ここのもつ鍋がめちゃくちゃ美味しいのよ。」 さすがに引いただろ?と思ったが彼はニコニコしながら 「これ地元のもつ鍋より旨いです。」 とバクバク食べてた。 こんなムードのないデートでもえらく楽しそうな彼に逆にほっこりしてしまった。 二件目はスナック。 三件目はおかまバー。 しかし彼は私より楽しんでいた。 「律子、こんなイケメンどこで引っかけてきたのよ?」 とママに問い詰められてると 「引っかけたのは僕ですよ。」 と言いはなった。 おかまちゃんたちとめちゃくちゃ仲良くなって、挙げ句の果てには女装させられてたし。 しかも妙に美人。 「どうですか?」 「私より女らしいじゃない。」 「そうですか?」 「綺麗よ、暁ちゃん。」 と冗談で言うと真っ赤になった。 「適正あるんじゃない?」 「そうじゃなくて、橘さんに下の名前で呼んでもらえたのが嬉しくて。」 「女の私より可愛いのやめて。」 「それはないです。橘さんの方が断然かわいいから。」 かわいいっつった? そんなの言われたことないかも。 子供の頃も兄たちと遊んでたせいで私は完全に男の子扱いだったし。 誰もかわいいなんて言わなかった。 付き合った彼氏も、祖父母ですら。 帰り際、ご機嫌な彼は私の手をさらっと繋いだ。 「今日は橘さんの懐にちょっとだけ入れたみたいで嬉しかったです。楽しかった!また行きましょうね。」 「こんなんでよかったの?」 「何がですか?」 「普通、初めてのデートでありえないでしょ?」 「普通って面白くないでしょ。映画館とか遊園地とか、散々行ったけど今日ほど楽しくなかったし。まぁ、橘さんとならどこ行っても楽しいと思いますけど。」 「そ、そう?」 「素の橘さんが見れて嬉しかったし。最高のデートでした。」 こいつ、最強かよ。 とちょっと思った。 これをデートと思えるとこも、楽しいと思えるとこも。 もしかしたら私以上に変わり者なのかもしれない。 職場では一切喋らない。 という規約もちゃんと守ってくれている。 だから誰にもバレてない。 が、一人だけ妙に敏感な彼女にだけは別だった。 「杉原くんてよく橘さんのこと見てますよね。」 と言われてしまった。 「え?そう?感じたことないけど。」 「見てますよ。何かあったんですか?」 「ないない。」 「橘さんにはなくても、彼の方には何かあるのかも。例えば、」 「ないない。だって私たち15も離れてるのよ。私も甥っ子ぐらいにしか思ってないし。あっちだってそうよ。」 と一生懸命取り繕った。 そして彼に聞かれていたことに気付いたのはその日の夜だった。 「僕って甥っ子ですか?」 うちで彼の作ったご飯を食べてるときに聞かれた。 「聞いてたの?」 「はい。」 「甥っ子、にしてはでかすぎる。ほんとの甥っ子はまだ高校生だし。」 「そうですか。」 「なに、気にしてたの?」 「はい。やっぱり男としては見てもらえないんだなと。せっかく彼氏になってもなにも変わってないっていうか。」 「男としてねぇ。私、まだ杉原くんのことよく知らないし。」 「知ったら変わるかも?」 「分からないけど。でも別に男らしい人が好きって訳でもないから。私も女らしくなんて思って生きてないし。」 「律子さん、て呼んでいいですか?二人の時だけ。」 「呼び捨てでもいいわよ。」 「いやー、それはちょっとハードルが。」 「暁、って呼んでいい?その方が呼びやすいし。」 そう言うとまた照れた。 職場での彼はどちらかというとクールで、あんまり感情を表に出さない。 そういうところが女子ウケしてる。 けど、私と二人の時の彼はわりと感情が表に出てる。 仕事モードとプライベートでちゃんとスイッチが変わってるのかも。 「ねぇ、ご両親ていくつ?」 「両親はいません。」 「あ、そうなの。ごめんね余計なこと、」 「僕が子供の頃に離婚してから会ってません。ずっと祖母の家に預けられてました。」 「会ってないって、会いに来なかったの?」 「はい。二人とも再婚してお互い家庭を持ったらしいです。」 「なにそれ。」 「まぁ、祖母はとても良くしてくれましたし。僕は全然寂しくなかったですけど。」 「寂しくないはずないじゃない。」 考え無しについ思ったことを口にしてしまった。 まずかったかな?と思ってたら急に彼に抱き締められた。 「やっぱり律子さんのこと好きだな。そういうとこなんですよ。きっと。」 「え?何よ、そういうとこって。」 「研修の時、ヘマした子が他の社員さんに怒られてるの見て、律子さん言ったんですよ。あなただって同じようにミスしたじゃない。何で責められるのよ。って。」 「そんなこと言ったっけ?」 「言いましたよ。素敵でした。」 「つい考え無しに言葉にしちゃうのよね。」 「いいんです。それで。僕も今救われました。ありがとう律子さん。」 「別に。てか、いつまで抱き締めてんのよ。」 「あ、ごめんなさい。つい。」 「まぁ、いいけど。」 「いいんですか?」 「だって恋人なんだし。ハグぐらいするでしょ。」 「なら、どこまでいいんですか?」 「どこまで?」 そういえばそんなの考えてなかったな。 私たちそこそこいい大人だし。 「キスは?」 「マスク越しなら。ほらまだ色々気を使わないといけないし。」 「マスク越し。」 「口じゃなかったらいいわよ。」 そう言うと、彼は額にキスした。 そして鼻と鼻をくっつけて、 「じゃあ鼻キスならOKですね。」と笑った。 あかーーーーん!!鼻キスの方が恥ずかしい!!耐えれない!! 「そうね。」 とかクールに答えてしまったばかりにそれから彼はさよならの鼻キスをするようになった。 頑張って3回は耐えたけど、もう無理ってなって4回目の鼻キスのタイミングで私から唇を奪った。 「え?」 「もういいかなって。てか、ほんとは鼻キスに耐えれなかったというか。鼻キスって普通のキスより恥ずかしいのよ。」 と言ってしまった。 すると彼は玄関先で大爆笑した。 涙が出るほど。 「早く言ってくださいよ。じゃあ、今までずっと耐えてくれてたんですか?」 「うん。頑張って耐えてた。」 「ごめんなさい、そうとは知らず。」 「これからは普通に、」 彼の顔が近づいてきて唇が重なった。 そういえばキスとか何年ぶりだっけ? どんな顔してればいいんだっけ? とかグルグルしてたら、 「目、閉じてくださいよ。」 と言われてしまった。 目を閉じたらさっきとは違う深くてとろけそうなキスに変わっていった。 ふわふわする。 更年期障害の時とは違う。 てか、こいつキス上手くないか? 「律子さん、止めてくださいよ。」 「え?」 「止めてくれなかったら僕、暴走しますよ。」 「あ、あぁ。ごめんごめん。」 「イヤじゃなかったってことですよね?」 「イヤではなかった。てか、キス上手いよね。私なんかより経験豊富そう。」 「俺、この10年一度もないです。」 「え?」 「律子さんを見つけてから他の女の人に目がいかなくなりました。」 彼はそう言うと抱き締めてきた。 「だからすんごい我慢してるんですよ。こう見えて。」 「そう。それはごめん。」 「キスしちゃったからヤバいんです。」 「ほんとはどうしたい?」 「聞いてどうするんですか?」 「聞きたいだけ。」 「律子さんの全部が欲しいです。」 「全部、ねぇ。全部なんてあげないわよ。」 「え?」 「セックスしたって全部あげる訳じゃないもの。」 「まぁ、そうか。確かに。」 「2ヶ月近く一緒にいて暁のおかげで毎日楽しいし、このままこんな日が続けばいいなって思うけど、そっちはどう?」 「それってプロポーズ、ですか?」 「え?」 「ずっと一緒にいたいってことですよね?」 「まぁ、そうね。」 「僕もです。てか、何でそう言うこと先にいっちゃうかなぁ。」 「そんなのどっちが先に言ってもいいでしょ。」 「でもほら、僕は指輪とか用意して、いいレストラン予約して、ちゃんとしたかったです。」 「いらないいらない。」 「そう言うとは思いましたけど。」 「結婚はもはやどうでもいい。同棲するとかも。ただ暁が側にいたらいいなってシンプルにそう思うだけ。」 「同棲も結婚もしない?」 「したいならするけど。私はどっちでもいい。」 「したいですよ。結婚。だってこれから先、こんな素敵な人に出会えると思えないから。」 「言うじゃない。」 「セックスもどっちでもいいってこと?」 「どっちでもいい。したいようにすれば?」 「したいようにします。」 私はそう言ったことをあとで後悔した。 若さとは恐ろしいものである。 彼の体力を侮りすぎていた。 「律子さん大丈夫?」 「休みで良かった。てか、ほんと止めなかったら際限ないわけね。」 「すみません。なんせ10年分の想いが弾けとんだんで。」 「でも良かった。ちゃんと男だった。」 「ほんとに?」 「うん。雄の顔してた。あんな顔もできんるんだってまじまじと見ちゃった。」 「恥ずかしい。そんなの見ないでよ。」 「お祖母ちゃんにいつ会わせてくれるの?」 「会わせたかったけど、去年亡くなったんだよね。」 「、そっか。じゃあ私が暁の家族になる。もう一人じゃないよ。」 「、そういうことさらっと言っちゃうのよくないよ。」 「え?なんで?」 「泣きたくなるじゃん。」 そう言ってポロポロとこぼれ落ちた彼の涙を私は受け止めた。 私が15歳の時、彼が産まれた。 埋めようのない時間だけど、それはそれでいいとして。 なんとなく始まったこの時間を大切にしたいと思った。 「最近、律子さん綺麗なりましたね。なんか若返ったというか。何かあったんですか?」 女子社員たちに囲まれた。 遠くで彼と目があった。 私は覚悟を決めて 「実は結婚することになったの。彼と。」 と指さしてやった。 彼はなんのことか分からずとりあえず笑っていた。 女子社員達の視線を一向に浴びて。 彼女達は唖然とした。 「やっぱりねぇ。何かあると思ったのよ。」 たった一人を除いては。 それから私たちは結婚式もせず指輪も買わず籍だけいれた。 一緒に住む家も探したけど見つからず、とりあえず私の家に彼を呼んだ。 「ねぇ、15も下の男に言い寄られたら結婚詐欺とか疑わなかった?」 「え?詐欺なの?」 「だったらどうする?」 「そうねぇ。詐欺だったとしてもいい思い出作れたと思って良しとするかも。」 「律子って変だよね。」 「お前に言われたくないわ。」 「俺のどこが変?」 「一番変なのはわざと一人称を僕にしてたとこと、私なんかを10年も思い続けてたとこかな。」 「バレてた?僕って言ってる方が印象いいかなと思って。あと、なんかではないよ。律子はそれだけの価値のある人だから。」 「暁のその変なとこに感謝してるわ。ありがとね。」 「ありがとう、俺を選んでくれて。」 「選ばされた、の間違いだけどね。」 私はほんとは知っている。 彼とは10年前出会ってないことを。 彼は途中入社でうちに入ってきた。 私を知ったのも本社からうちにやってきてからだ。 私に近づいてきたのは父親と私が昔不倫関係にあったからだと思う。 それが奥さんにバレて両親は離婚した。 復讐のためなのかもしれない。 でももし、そうだったとしてもそれはそれで良しとしようと思ってる。 彼と過ごした時間は私にとっては本物だから。 強がって一人でも平気とか、楽しいとか言ってたけど、本当はずっと不安で寂しかった。 誰か側にいてくれたらって思ってた。 そんな心の穴を埋めてくれた。 だから十分だ。 もし彼が明日いなくなっても、私は恨んだりしない。
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