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親の決めた結婚をした婿養子の啓一郎にとって、全てをこの家のために尽くしてきた啓一郎にとって、小夜子との思い出だけが自分にとって美しい恋の想い出だった。
小夜子と出会った啓一郎は誰にも知られることはないまま二人は愛し合い、そして出来た子が恭弥だった。
互いに家主と使用人として、啓一郎と菊乃と恭弥はここで暮らし、今まで生きてきた。
菊乃は昔、小夜子と言う名を使って、当時の啓一郎と会った。
啓一郎にとっては行きずりの恋だった。
自分には志津子という妻と、伸彦という息子がいた。海外に留学中の伸彦も二年後に、日本に帰ってくる。
そうしたら伸彦も啓一郎の会社を継ぐ立場になる。
そんな時に啓一郎は小夜子と出会ってしまった。
窮屈だった真壁家の婿養子の啓一郎にとって、小夜子は唯一羽を伸ばせる人だった。
二人は愛し合った。
25才も年下の小夜子。
年は親子ほども離れていて、啓一郎にとってはまるで地上に降りた天使のようだった。
身籠った菊乃は話をするために啓一郎の会社を訪れた。
しかし啓一郎は菊乃に気づかないまま。菊乃は求人を見て来た人と間違えられていた。無理もない。華やかな夜の世界で妖艶な姿をした小夜子とは違って、化粧っ気もなく、髪もセットしてない菊乃のその姿はまるで別人だったからだ。
全く気づかない様子の啓一郎は、とても優しく対応してくれて、自分を雇ってくれることになった。
そしてお腹に子供を宿していることを知ると、啓一郎が情をかけ、会社でなく、自宅に住み込みの使用人として働くことを提案してきた…。
「そんな子供を連れて働くのは大変だろう、どうかな?ちょうど、家のことを世話してくれる住み込みの使用人も探しているんだけど、君、どうかな?」
そんな言葉をかけてくれたのを今でも菊乃は覚えている。
本当に小夜子だとは気づいてない様子だ。
それでもいい…。
あの時なぜか、子供のことは菊乃は啓一郎に言わなかった。
生まれてからも、他の男の子どもだといって誤魔化した。
啓一郎にも、家の人たちにも、未婚の母であることだけ伝えた。
菊乃は子育てしながら、真壁家の使用人として住み込みで働くようになった。
年の変わらない自分の息子の恭弥と共に、乳母として、生まれたばかりの碧斗のお世話をして…。
そんな菊乃を気の毒に思ったタケさんが妹のように気にかけ、手を貸してきた。大分前になくなった自分の妹と菊乃を重ねていた。
志津子には一切悟られないように菊乃は啓一郎とは、一線を引いていた。
恭弥にも、今まで知られることもなく生きてきた。賢い恭弥は小さい時に一度だけ聞いてきた事があったが、その時の母の苦しそうな顔を見て、触れてはいけないことだと悟った。
化粧など一切することもなく、着飾ることもしなかった。菊乃は長い間、恭弥の父が誰なのかも隠し、一人で恭弥を育ててきた。
そんな過去を一人で隠し、背負った母の苦労のにじみ出た背中や切ない想いを隠したその表情に恭弥は胸が苦しくてたまらない。
そんな姿がなんとなくミキと重なってみえるのだった。
だから碧斗に一生懸命なミキのことが心配でたまらない。
碧斗の心が大河に向いていることを承知の上、それでもミキは碧斗にとって戸籍上の妻であることにしがみついている。
いつか振り向いてくれることを夢見て…。
母も、啓一郎にいつか気づいてほしいと、願ったりしたこともあったんだろうか…。
その健気な想いに胸が痛かった。
ミキにも幸せになってほしい。
二人が結婚して形式的に夫婦となったとはいえ、一緒に住んでもミキが碧斗から愛されることは無い。
そんなそっけない碧斗の態度にミキは寂しさを隠しきれない。
そんな碧斗も、自分がたどってきた道を自分の子供に繰り返そうとしている…。
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