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あの時の光景が甦り、思わずまっすぐこっちをみる彼のその手に視線が行く。
あの時の綺麗な小さな手を僕は今でもよく覚えている。
こんなに今でも胸を焦がす、あの、愛おしかった小さな手の持ち主が、大人になったあの、ずっと会いたかった人が、今こうしてあの時のように、あの時と同じ台詞を口にした。
そのとたん、今まで靄のかかっていた過去の記憶が甦り、目の前のその景色を涙が歪ませた。
喉の奥がぎゅっと締め付けられ、目頭が熱くなる。
口から嗚咽が漏れてしまいそうになり、あわてて手で握りこぶしを作り口をふさいだ。
驚きすぎて瞬きすらできない。
もしかして、覚えている?
あの時のことをちゃんと今も覚えてる?
この僕があの時のやつだって、碧斗はちゃんと僕を覚えていた?
その目がこちらをじっと見つめている。その見つめてくる目に、もう不安や恐れや不快感はない。
あの頃の、会った時のように、澄んだ瞳でただこちらを見ていた。
そうだよ。あの時のぼくだよ…。
あの時のあれは、ぼくなんだよ…。
あのピアノの発表会の時、一緒に逃げ出したのはこのぼくなんだよ…。
君にはずっとそう伝えたかった。
忘れられなかった愛おしい人の美しい小さな手。
『あの子の綺麗な手…』
あの時、ほんの少しだけ逃げ出した僕たちだけの時間、二人だけの時間。
今でも忘れられない大事な時間。
一緒にあそこから逃げ出した僕たちは、またそれぞれの鳥かごに帰っていった。
それから二度と会うこともないと思っていたのに。なにも知らずに中学生で再会した。
僕たちは最悪な状況で。
君を思いどおりにしたかったばっかりに。
あんな風に僕はトイレに君を連れ込んで、力ずくでこの愛しい人を奪い、傷つけようとした。
怯えたあの時の君の顔が今でもボクを苦しめている。
だから言えなかった。
あの時の、ぼくだよって。
でも、もうそんなこと、君はとっくに忘れていると思っていたのに。
いま、でも確かにそう言ったよな?
あの時と同じ台詞…。
「君は僕の味方?」
碧斗はあの時、確かに僕にそう聞いてきた。
「多分、敵じゃ、ない、はず?」
だからあの時、僕は素直にそう応えた。
そう。僕は君の敵じゃない。
今だって。僕は君たちの、敵じゃない。
だって、未だに僕はずっと、あの時の君に、恋してるんだから…。
「さあ、帰ろうか。奏太」
そう声をかけられ椅子からストンと飛び降りた奏太の小さな綺麗な手が、すぐそこにある美しい綺麗な手をそっと優しく握り、二人は手を繋いで出ていった。
敵なんかじゃないに決まってるだろ?
だっていまでもこんなにも愛しているんだから…。
そんな言葉が君に届く日なんか来なくてもいい。
こうしてあの日のことをちゃんと覚えててくれたんだから…。
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