槐国の皇太子妃

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 私が宦官棟に戻り、間借りしている部屋に向かおうとしたら、「丁香」と声をかけられ、少なからず驚いた。  顔がやけにいい宦官に声をかけられたのだけれど、声だけはどこかで聞いたことがある。低いような高いような、必死に聞き取ろうとしても、いまいち掴み取れないのに印象だけはずっと残り続ける声。  それに宦官は「ああ」と言った。 「俺だ、紫珠だ」 「……っ!?」  思わず息を飲んでしまった。  女装しているときは、花神の化身と言われても信じてしまいそうなほどに、花の雰囲気を撒き散らしながら、風に流されて消えてしまいそうな儚さがあったはずなのに。それが宦官の服を着た途端に儚さが完全に霧散し、柳の枝のようにしなやかにいつまで立っても折れないし流されない雰囲気に変わっていた。性だけあやふやなままだけれども。  私が口をパクパクさせているのを、紫珠様は目を瞬かせて眺めていた。 「なんだ? 俺の変装に見とれたか? すまんな、本当の姿は後宮内じゃお目見えできなくて」 「い……いえ……私は別に」 「それで、春妃と話をして、どうだった?」  私は紫珠様を見た。よくよく考えれば、春妃様の占術結果を確認に行って欲しかったのだから、きちんと伝えるべきだろう。  一旦私の部屋に招き入れてから、占術結果を報告した。それに紫珠様は「ふーむ」と腕を組んだ。 「抽象的過ぎるでしょうか?」 「いや? 逆だ。俺は何度も何度も親父の首を取るために行動を起こされたが、その都度春妃に止められていた。天命がない中でやれば、星主に消されると」 「……でも、今回は星主を怖れるなと出たということは」 「やっと好機が来たという訳だ。だが、問題は親父が後宮に来ないことには、首を取れる機会もそうないんだがなあ」 「皇帝陛下の首を取れる機会が、後宮内でなかったら駄目という根拠は?」 「ひとつ、皇帝陛下の警備は厳重だ。常にふたりひと組は護衛に付き、護衛交替の機会でも、一個小隊が見張っている中で行われる。護衛が外れる機会は、後宮内に入ったときにしか訪れない」  男は後宮内に入れないため、護衛も女兵士たちに任せないといけない。その機会は他所で暗殺を行うよりも機会が存在する。 「ひとつ、後宮内では、必ず護衛が外れる時が存在する。まあ、渡りの屋敷は丁香救出で燃やしてしまったが、まだ機会はあるからなあ」 「すみません……その、他の機会というのは?」 「愛妃に会いに行くのに、わざわざ護衛は付けないからな。妃の屋敷は、基本的に後宮内でも別の権力が存在しているから、皇帝だからと言って、それを踏みにじって護衛を付けて入ることがかなわない」  屋敷持ちの妃たちは、基本的にどこかの権力者たちの子女か、春妃様のように一芸特化の特技を持っているかのどちらかになる。一芸特化の妃ならばそもそも自力で護衛を賄える訳がなく、どこかの権力者により妃として送り込まれたのならば、実家からの護衛を付けているのだから皇帝陛下の護衛を通すとは思えない。  たしかに護衛が引いた段階でだったら、まだ首を取る方法はあるのか。 「ところで、丁香は剣舞は舞えるか?」  唐突に紫珠様に言われ、私は首を捻った。  私が剣術の稽古を受けていたのは自衛のためだったが、剣舞は元々は劇団員が覚えるものであり、武道とは少々勝手が違う。  ただ……私も首都に劇団が来た際にそれを見物に出かけたことはある。くるくると回りながら重いはずの剣を振りかざして踊る様が美しく、私自身も見よう見まねで踊ったことならばある。 「……見よう見まね程度でしたら」 「それ、踊ってみろ」  意味がわからないな。私は訝しがったまま、ひとまず青竜刀を手に取った。  そして手首を意識しながら踊りはじめた。剣舞はなにも剣を振ればいいだけでなく、足の動き、円の描き方、体重移動、その全てに神経を注がなければ、途端に重ったるいあくびの出るような踊りになってしまうため、全神経を研ぎ澄ませた。  ただ、愛妃の話からどうして剣舞の話になるのか、訳がわからない。私がくるくると剣を回しながら自身を一回転させて踊りを止めると、息が切れる中、拍手が鳴り響いた。 「……こ、れで……よろしいですか?」 「上出来だ。まさか見よう見まねでここまで踊れるとはな」 「ですけど……これ、なんですか……?」 「今度、正一品の元に、劇団が招かれる。親父の愛妃だ、そこには当然ながら親父も来る。演目に夢中になっている隙に親父を殺そうと考えていたが、お前もそこに混ざれ」  絶句してしまった。  昨日の今日で、いきなり皇帝陛下を殺せと言ってくる。天にようやく許されたのだから、この人もこの機会を逃したくはないのだろう。  だが、そもそも私の剣の腕なんて大したことないのに、そんなんですぐ見つかったら、私が死ぬだけだ。私は思わず紫珠様を睨んだ。 「……さすがに私ひとりだけだと、死ぬかもしれないじゃないですか」 「その劇団、俺のものだが?」 「はい?」 「正確にはなあ、劇団の奴らは、皆皇帝陛下に恨みのある連中で構成され、俺もその中に加わっている。皆で殺せる機会を窺っていたんだ。混ざらないか?」  仲間に入れてやると言わんばかりの言い方だった。  そんな乱暴な、とは思うものの。この人が焦る気持ちもわからんでもなかった。  春妃様は芸によって身を助け、手込めにされるのを逃れたが。中には彼女のようにはいかず、故郷の人たちと無理矢理引き離された人もいるだろう。  それを考えたら、浅はかだと批難する気にはなれなかった。 「……わかりました。お付き合いしましょう」 「そうか。なら、次はその劇団に案内するか」 「って、後宮内にあるんですか!?」 「正確には、あの連中は半年に一度、七日間だけ後宮の滞在を許されている。後宮に七日間だけでも滞在できるのは稀少なんだよ」  そう言いながら、紫珠様は部屋を出て歩きはじめた。  私も慌ててついていったのである。
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