齟齬

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齟齬

 学校を出てから、転校生は通学路を北西へ歩いていく。どのみち帰り道なので、侑子は無言で従った。  自転車の生徒がどんどん追い越していく。国道を越えると、交通量と人の数はぐっと減った。  転校生がチラッとこちらを窺う。侑子はいたたまれなくてうつむいた。二人の歩くスピードは変わらない。彼が落ち着いた声で言った。 「ごめんな、いきなり」 「……ううん」  侑子はわずかに顔を上げ、そう応じるのが精一杯だった。  また沈黙が場を支配する。転校生は辺りを見渡し、道の向こうのガソリンスタンドに目を留めた。 「あのガソスタ、昔はなかったよな」 「え……」  侑子は同じ場所を眺め、そういえばそうだとうなずいた。 「三年ぐらい前にできたと思う」 「そら変わるわな、十年もたったら」  転校生は苦笑してから、静かに語った。 「七歳んとき、夏休みにこっちへ来てん」 「……そう」 「何回か一緒に遊んだ」  侑子は答えられずに視線を落とした。すると、相手は笑ってみせた。 「昔すぎるよな」 「ごめんなさい、私……」 「俺もたいがい、しつこいわ。ごめんな」  侑子は何か言わなければ、と彼を見た。 「本当に私なんだよね」  転校生はきょとんとした。次いで彼女を指差す。 「高瀬侑子やろ」 「うん」 「家の二軒となり、お寺さんやったよな」 「小さかったときはそう。今は引っ越したけど」 「ああ、引っ越したんや」  人違いではなさそうだ。なのにさっぱり思い出せない。侑子は自分が情けなかった。 「私、記憶力がダメみたい……」  転校生はとくに表情を変えるでもなく、道の先に目をやった。 「昔話がしたかったわけちゃうから」 「え?」 「元気しとんのかなって」  彼は振り返って肩をすくめた。 「俺が元気なくさしたら本末転倒や」  その言葉に侑子はすこし笑った。転校生も面持ちを和らげる。侑子はためらったが、彼に尋ねた。 「聞いてもいい?」 「なに?」 「十年前、どうやって知り合ったのかな」 「ああ」  転校生は時間をさかのぼるように、視線を宙に浮かせた。 「道に迷ってるとき、ゆうが教えてくれた」 「私が?」  侑子は意外な話に驚く。彼が不意に困った顔をした。 「ていうか、馴れ馴れしく呼んでてええんかな」 「え、えっと」  そう言われると恥ずかしい。かといって、やめてと撥ねつけるのは冷たい。 「幼馴染みって考えたら、変じゃない……かも」 「あんとき俺、こっちでほかに友だちおらんかったから」  彼が穏やかな表情で目を細めた。 「ありがとうな」 「う、ううん」  言葉で応じることはできても、記憶の共有が叶わない。侑子は中途半端な自分が歯がゆかった。  先を行く転校生が、腕を上げて深呼吸した。 「こっちはええな。のんびりしてて」 「何にもないよ?」 「そういうんが合うやつもおる」 「加賀くんも?」  侑子が尋ねると、彼はぴたりと足を止めた。横顔が明らかに「しまった」という表情になる。わずかな沈黙ののち、その背中が言った。 「加賀いうんは聞かんかったことにして。今は楠やから」 「ご、ごめんなさい……」  侑子が萎縮すると、彼は優しい声をかけてきた。 「べつに、ゆうは悪ないよ」  転校生は彼女に対して笑顔を浮かべた。 「変わらんものもあるな」  彼――楠琢哉とは、高速をくぐった先のコンビニで別れた。上り坂なので、侑子は自転車を押しながら帰り道を辿った。  七歳のころ、幼い彼に道を教えた。何度か一緒に遊んだ。  関西弁を話す優しい男の子。想像しても、頭の中で形にならない。相手はあんなに覚えているのに。  思い出したい。こんなことやあんなことがあったね、と笑い合いたい。どうして叶わないのだろう。  侑子はため息をついた。  かが、たくやくん。私は、幼い彼をどう呼んだのだろう。  考えても答えは見つからない。このトンネルを、どうにかして抜け出したかった。  収穫のないまま、近所に帰ってきた。思考を巡らせすぎたらしく、かすかに頭痛がした。
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