それぞれのコイン4――楠琢哉

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それぞれのコイン4――楠琢哉

 ほんとうは怖かった。  狭くて暗い場所に閉じ込められ、周りが崩れれば死ぬかもしれない。ただ助けを待つことしかできず、泣き出したいぐらいだった。  でもそのとき、俺は自分の状況なんてどうでもよかった。  ゆうを守らなければ。心がしっかりして、不思議なほどポジティブになった。何が何でも助かってみせる。怖がる時間さえもったいない。  不安と混乱で泣きじゃくる彼女に、「大丈夫」「絶対に助かる」とひたすら励ます。  ゆうのお母さんに呼びかけるが返事はない。しかし身動きもままならない中、最悪の事態ばかり想像しても無意味だ。  繰り返し言葉をかけるうち、ゆうはすこし落ち着いてこちらを見上げた。つないだ手をギュッと握ってくるので、俺も同じように返した。 「俺が守ったる」と告げれば、それは現実になると思った。彼女がコクッとうなずいたとき、明るい未来は一秒ずつ歩み寄る。  ゆうが望めば、俺はきっとヒーローになる。彼女のそばから決して離れない。  やがて救助の手が近づき、ゆっくり瓦礫が取り払われて、外の光が差し込んでくる。  もうすぐ解放される。ホッとすると同時に、ゆうのかけた魔法が解けるのを感じた。  改めて視線を向けると、彼女もこちらを見つめた。疲れた様子ではあるものの、顔の強張りはほどけている。  ゆうが無事でよかった。泣いてなくてよかった。  助け出されたあと、緊張の糸が切れたのか、彼女は気を失った。救急隊員が「大丈夫だよ」と言ってくれる。  体の状態などを答えると、「しっかりしているね」と感心された。  そう言われたことが不思議だった。ついさっきまで、ゆうの魔法がかかっていたのだから。  彼女にはゆっくり眠ってほしい。目を覚ましたら、元気いっぱいの笑顔を見せてくれますように。  そうすれば、この事故もひと段落する。 * * *  それは出会いの日。  墓参りのために出かけた寺で、周囲を探索してみようと思ったのが間違いだった。情けないことに道に迷い、帰り方が分からなくなってしまった。  あちこち歩き回るが、方向さえも不明だ。周囲は静まり返って、人っ子一人、見当たらない。  道端の段差に腰掛けると、いろんなことが面倒くさくなった。このまま行方不明になったらどうなるだろう。  祖母はきっと、手を尽くして捜し回る。不安な思いをさせるのは嫌だな、と反省した。  父と母もおそらく同じようにする。俺が見つかれば、ああよかったと喜んでくれる。  けれど、そのことさえケンカの火種になるかもしれない。意地になって、互いの悪いところばかりあげつらう。そこから新しい関係を築けるわけでもないのに。  誰とも関わりたくない。このままずっと放っておいてほしい。  壁にもたれて真っ青な空を見上げる。その景色はどの町でも変わらないのに、知らない空だ、と心細く思った。  ぼんやりしていると、小さな足音が聞こえた。  道を聞かなければ。けれど動く気になれず、ただ顔を向ける。丁字路(ていじろ)の先に同い年ぐらいの女の子が現れ、まっすぐ歩いていく。  角に消えようとしたところで、その子はピタッと足を止めた。うずくまって、ほどけた靴紐を結ぶ。ふたたび立ち上がったとき、ポケットから財布を落として、小銭が散らばった。  一枚が勢いよく転がってきて、そばの壁に当たる。  女の子は自分の周囲にばかり注意を向け、百円が足りないことに気付いていない。俺がそれを拾ったとき、彼女は財布をポケットに入れて去っていく。  俺はあわてて後を追いかけた。 「待って」  角を曲がったところで声をかける。相手が驚いた顔で振り向く。  そばに近づいたものの、いざ続きを口にしようとしてためらった。  はとこに散々からかわれて以来、この町の人の前ではつい無口になってしまう。  目の前の女の子は、俺が何も言わないので、怒られるのかと怯えた表情になる。  まあええか、笑われても。  持っていた百円玉を差し出す。 「これ、向こうに転がってきた」  すると彼女はビックリして、その小銭を見つめた。ほんとうに私のかな、という顔をするので、百円をさらに差し出す。彼女がおずおずと受け取った。  ちょっと人見知りしつつも、懸命に言う。 「ありがとう」 「うん」  俺は立ち去りかけて、自分が迷子であることを思い出した。かっこ悪くて頭をかき、諦めて彼女を見た。 「お寺、捜してるんやけど、どっち行けばいいか知ってる?」 「近くにお寺はふたつあるよ」 「えっと……近くに田んぼがあって、道が行き止まり」  彼女はそれがどこか知っていたが、道の説明に手こずった。俺がこの辺りに住んでいる人間ではないため、目印を言われても知らないからだ。  しかし方角の見当はついた。 「あっちのほうやんな。行ってみる」 「え、でも……」 「なんとかなると思う。じゃあ、ありがと」  背を向けると、彼女が声を上げた。 「待って。一緒に行ってあげる」 「けど……」 「そしたら、大丈夫」  彼女は先に歩いていき、こっちだと指差した。俺は申し訳なく思ったが、素直に従うことにする。  相手は案内しながら、目印の公園はこれ、地蔵があれ、と教えてくれた。俺は寺に着きさえすればよかったけれど、相槌を打ちつつ町を眺めた。  もし妹がいたら、こんな感じだろうか。  やがて目的の寺に辿り着く。礼を言うと、彼女は心から嬉しそうに微笑んだ。  控え目に手を振ったあと、去っていく。角を曲がるまで背中を見送った。その姿がなくなっても、馴染みのない景色はあたたかみを残した。  そのあとすぐ再会して、一緒に遊ぶようになった。  ゆうとの時間は俺にとって心地よく、いつもあっという間に過ぎてしまう。帰っていくのは淋しく、そのぶん訪ねてきてくれると嬉しかった。 「野球っておもしろい? こうしえんって、よんばんって?」  ゆうが次々に尋ねてくる。  そのころ彼女の知ったことは、俺が教えたもの。関西について、または方言について、彼女がいちいち感心するので、いろいろ話した。  ゆうとの時間を重ねるほど、この町がやさしく受け入れてくれるように感じた。  星がたくさん見られる、木陰にいれば涼しい、水がおいしい。どんどん好きになって、離れがたくなる。  関西へ帰る前日になると、朝食を取っても高校野球を見ても、心ここにあらずだった。  十時すぎ、洗濯物を干していた祖母が俺を呼ぶ。「玄関にお友だちが来てるわよ」と。  急いで出ていくと、午前中は用事のあるゆうが、きまり悪そうに立っていた。 「かぁくんと一緒にいたかったから……」  淋しい気持ちがきれいさっぱり消え、ワクワクで頭がいっぱいになる。 「どっか行こか?」 「うん!」  地元に帰るのは先のこと。今日は、まだ今日だ。
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