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様子見
侑子は、片付けを終えた佳孝とフランス映画を観た。伯母がリビングに戻ってきたものの、息子がテレビから離れないので、「先に入るわ」とふたたび去る。
物語の半ばで侑子の意識は途切れ、目を覚ましたときにはエンドロールが流れていた。
「あれ、終わってる」
「すこしは休めたか」
佳孝が笑って尋ねる。彼女の体にはタオルケットが掛けられていた。
ダイニングテーブルで伯父がお茶漬けを食べ、向かいに寝間着姿の伯母が座る。
「すごい寝ちゃった。伯父さん、お帰りなさい。これを掛けてくれたの、よしくん? 伯母さん?」
伯父が「ただいま」と応じ、伯母が「佳孝よ」と答えた。
「ありがと、よしくん」
「続きが気になるんだったら、また借りてきてやるよ」
「今度はちゃんと観る」
「レンタル半額のときな」
「お願いしまーす」
掛け時計を見た叔母が、声をかける。
「そろそろ隣も帰ってきてるでしょう。佳孝、侑子ちゃんを送ってあげて」
侑子はビックリして手を左右に振った。
「ええっ、平気だよ。お隣だもん」
DVDを止めた佳孝が立ち上がる。たたんだタオルケットを受け取り、諭すように言った。
「調子の悪いときは頼る。こういうのはお互いさまだ」
「うー、分かりました」
「なに唸ってんだか」
佳孝はいったんリビングから出ていった。伯父が息子の背中を見送って、くっくと笑う。
「侑子ちゃん相手だとヨシは兄貴ぶるな」
「幼稚園のころ、妹がほしいって言ってたものねぇ。本人は忘れてるでしょうけど」
「私、よしくんにお兄ちゃんさせてる?」
侑子が尋ねると二人は笑った。
「どんどんさせて。そのほうが佳孝のためになるわ」
「そうかなぁ?」
「大丈夫。いやならあの子はやらないもの」
そのときリビングのドアが開き、佳孝が顔を覗かせた。
「侑子、行こう」
「うん。ごちそうさまでした」
「気をつけてね。何かあったら佳孝を盾にするのよ!」
「あはは、そうします。お休みなさーい」
遠山家の両親が「お休み」と応じた。
佳孝が先んじて玄関へ向かう。侑子はそれを追った。彼がスニーカーに足を突っ込んで、ぶつくさ言う。
「アレに似てる? やめてくれ」
「諦め悪いなぁ。認めちゃえば楽になるよ」
「ぜってー認ねぇ」
二人して外に出た。
ふたつの玄関は、壁を隔てて隣接している。距離などほとんどない。高瀬家の明かりがついていて、風呂場からシャワーの音がした。
「お父さん帰ってきてる。よしくん、ありがと」
「ゆっくり眠れよ」
「うん。お休みなさい」
「お休み」
侑子は鍵を手にしたが、ふと振り向いた。佳孝がそれに気付いて足を止める。
「どうした」
「私、七歳の夏に、『男の子の友達ができた』ってよしくんに言った?」
そのころは隣同士ではないけれど、自転車で行き来できる距離だった。夏休みは互いの家へ遊びに行った。いとこに琢哉のことを話したかもしれない。
だが佳孝はわずかに沈黙したあと、怪訝そうに笑った。
「なにそれ。いきなり突拍子もないこと聞くなぁ」
「そう教えられたの。なのに私、ちっとも覚えてなくて」
「誰、わけ分かんないこと言うやつ」
侑子は、琢哉とのやり取りをかいつまんで話した。佳孝が首をひねって眉をひそめる。
「初耳だな。そいつ、信用できそうな感じ?」
「嘘をつくような人じゃないよ」
「侑子をナンパしてるんじゃねぇの。昔馴染みだって言われれば、話してみようって考えるだろ」
ナンパという思いがけない単語に、侑子はきょとんとした。そして苦笑する。
「まさか。思考が飛躍しすぎだよ」
「侑子は、あっさり相手を信じすぎ。フルネームを調べるぐらい簡単だろ。むかし住んでた場所だって、小中高と同じ学校に通うやつがどれだけいる? 仕組もうと思えばいくらでもできる」
「そ、そうかもしれないけど……。よしくん、すごい疑ってる」
「そいつ、胡散臭いよ。侑子が騙されずに済むんなら、いくらでも疑う」
話がおかしなほうへ曲がったうえ、佳孝は不機嫌になってしまった。
琢哉は誰かを陥れるような人間じゃない。でもフルネームや住所は、信じる根拠としては弱い。
「私を騙したって、何の得にもならないよ」
「……そいつが気になる?」
侑子の脳裏に琢哉が浮かぶ。相手は控えめに微笑む。
けれど、その表情が彼女を追いつめる。
「自分だけ忘れてたら、引っかかるでしょ? でもどうしたらいいのか。よしくんの言葉を聞いたらもっと分からなくなった」
「ごめん。混乱させるつもりじゃなかった」
佳孝が歩み寄って、動揺する侑子の頭を撫でた。大きな手はあたたかい。彼女は自分の八つ当たりを恥じた。
「心配してくれたんだよね。私、のんびりしてるから。でも楠くんは悪い人じゃないよ。説明が下手で伝わらなかったけど」
「そっか」
佳孝がうなずいた。
「とりあえず様子見か?」
「うん。やっぱり話しかけづらいし……。いい人だから、よけいに罪悪感が」
「気に病む必要ないって。あと、俺が思うに」
侑子はいとこを見上げた。
「水着の件、侑子が行かなくて正解だ。そのぶん周りに働きかける。それを繰り返して、クラスに馴染むさ」
「そうだね」
「助けを求められたら手を貸せばいいんじゃね?」
佳孝は心配いらないと笑った。
「いいやつなんだろ。時間はかからないって」
「うん。よしくんに話して良かった」
「任せとけ。脱・母親、目指すは叔父さんだ」
「うっ、それはやめようよ~」
「なんでいやがるかなぁ」
二人は笑い、それぞれの家に戻った。
侑子がキッチンに行くと、風呂上がりの父親がビール片手にテレビを眺めていた。
「長いこと喋ってたな」
「よしくんとケンカして、仲直りした」
「シンプルだなぁ」
「お兄ちゃん、妹に甘いもん」
父親がそれもそうだと笑った。
「遠山家はみんな侑子に甘いから」
「お父さんが二人で、あとお母さんとお兄ちゃんがいるみたい」
「はは、侑子は幸せ者だな」
「うん」
侑子は素直にうなずいた。
「また眠くなってきた。お風呂に入って寝るね」
「ああ、そうしろ」
彼女はキッチンから出て、着替えを取りに階段を上った。
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