様子見

1/1

9人が本棚に入れています
本棚に追加
/42ページ

様子見

 侑子は、片付けを終えた佳孝とフランス映画を観た。伯母がリビングに戻ってきたものの、息子がテレビから離れないので、「先に入るわ」とふたたび去る。  物語の半ばで侑子の意識は途切れ、目を覚ましたときにはエンドロールが流れていた。 「あれ、終わってる」 「すこしは休めたか」  佳孝が笑って尋ねる。彼女の体にはタオルケットが掛けられていた。  ダイニングテーブルで伯父がお茶漬けを食べ、向かいに寝間着姿の伯母が座る。 「すごい寝ちゃった。伯父さん、お帰りなさい。これを掛けてくれたの、よしくん? 伯母さん?」  伯父が「ただいま」と応じ、伯母が「佳孝よ」と答えた。 「ありがと、よしくん」 「続きが気になるんだったら、また借りてきてやるよ」 「今度はちゃんと観る」 「レンタル半額のときな」 「お願いしまーす」  掛け時計を見た叔母が、声をかける。 「そろそろ隣も帰ってきてるでしょう。佳孝、侑子ちゃんを送ってあげて」  侑子はビックリして手を左右に振った。 「ええっ、平気だよ。お隣だもん」  DVDを止めた佳孝が立ち上がる。たたんだタオルケットを受け取り、諭すように言った。 「調子の悪いときは頼る。こういうのはお互いさまだ」 「うー、分かりました」 「なに唸ってんだか」  佳孝はいったんリビングから出ていった。伯父が息子の背中を見送って、くっくと笑う。 「侑子ちゃん相手だとヨシは兄貴ぶるな」 「幼稚園のころ、妹がほしいって言ってたものねぇ。本人は忘れてるでしょうけど」 「私、よしくんにお兄ちゃんさせてる?」  侑子が尋ねると二人は笑った。 「どんどんさせて。そのほうが佳孝のためになるわ」 「そうかなぁ?」 「大丈夫。いやならあの子はやらないもの」  そのときリビングのドアが開き、佳孝が顔を覗かせた。 「侑子、行こう」 「うん。ごちそうさまでした」 「気をつけてね。何かあったら佳孝を盾にするのよ!」 「あはは、そうします。お休みなさーい」  遠山家の両親が「お休み」と応じた。  佳孝が先んじて玄関へ向かう。侑子はそれを追った。彼がスニーカーに足を突っ込んで、ぶつくさ言う。 「アレに似てる? やめてくれ」 「諦め悪いなぁ。認めちゃえば楽になるよ」 「ぜってー認ねぇ」  二人して外に出た。  ふたつの玄関は、壁を隔てて隣接している。距離などほとんどない。高瀬家の明かりがついていて、風呂場からシャワーの音がした。 「お父さん帰ってきてる。よしくん、ありがと」 「ゆっくり眠れよ」 「うん。お休みなさい」 「お休み」  侑子は鍵を手にしたが、ふと振り向いた。佳孝がそれに気付いて足を止める。 「どうした」 「私、七歳の夏に、『男の子の友達ができた』ってよしくんに言った?」  そのころは隣同士ではないけれど、自転車で行き来できる距離だった。夏休みは互いの家へ遊びに行った。いとこに琢哉のことを話したかもしれない。  だが佳孝はわずかに沈黙したあと、怪訝そうに笑った。 「なにそれ。いきなり突拍子もないこと聞くなぁ」 「そう教えられたの。なのに私、ちっとも覚えてなくて」 「誰、わけ分かんないこと言うやつ」  侑子は、琢哉とのやり取りをかいつまんで話した。佳孝が首をひねって眉をひそめる。 「初耳だな。そいつ、信用できそうな感じ?」 「嘘をつくような人じゃないよ」 「侑子をナンパしてるんじゃねぇの。昔馴染みだって言われれば、話してみようって考えるだろ」  ナンパという思いがけない単語に、侑子はきょとんとした。そして苦笑する。 「まさか。思考が飛躍しすぎだよ」 「侑子は、あっさり相手を信じすぎ。フルネームを調べるぐらい簡単だろ。むかし住んでた場所だって、小中高と同じ学校に通うやつがどれだけいる? 仕組もうと思えばいくらでもできる」 「そ、そうかもしれないけど……。よしくん、すごい疑ってる」 「そいつ、胡散臭いよ。侑子が騙されずに済むんなら、いくらでも疑う」  話がおかしなほうへ曲がったうえ、佳孝は不機嫌になってしまった。  琢哉は誰かを陥れるような人間じゃない。でもフルネームや住所は、信じる根拠としては弱い。 「私を騙したって、何の得にもならないよ」 「……そいつが気になる?」  侑子の脳裏に琢哉が浮かぶ。相手は控えめに微笑む。  けれど、その表情が彼女を追いつめる。 「自分だけ忘れてたら、引っかかるでしょ? でもどうしたらいいのか。よしくんの言葉を聞いたらもっと分からなくなった」 「ごめん。混乱させるつもりじゃなかった」  佳孝が歩み寄って、動揺する侑子の頭を撫でた。大きな手はあたたかい。彼女は自分の八つ当たりを恥じた。 「心配してくれたんだよね。私、のんびりしてるから。でも楠くんは悪い人じゃないよ。説明が下手で伝わらなかったけど」 「そっか」  佳孝がうなずいた。 「とりあえず様子見か?」 「うん。やっぱり話しかけづらいし……。いい人だから、よけいに罪悪感が」 「気に病む必要ないって。あと、俺が思うに」  侑子はいとこを見上げた。 「水着の件、侑子が行かなくて正解だ。そのぶん周りに働きかける。それを繰り返して、クラスに馴染むさ」 「そうだね」 「助けを求められたら手を貸せばいいんじゃね?」  佳孝は心配いらないと笑った。 「いいやつなんだろ。時間はかからないって」 「うん。よしくんに話して良かった」 「任せとけ。脱・母親、目指すは叔父さんだ」 「うっ、それはやめようよ~」 「なんでいやがるかなぁ」  二人は笑い、それぞれの家に戻った。  侑子がキッチンに行くと、風呂上がりの父親がビール片手にテレビを眺めていた。 「長いこと喋ってたな」 「よしくんとケンカして、仲直りした」 「シンプルだなぁ」 「お兄ちゃん、妹に甘いもん」  父親がそれもそうだと笑った。 「遠山家はみんな侑子に甘いから」 「お父さんが二人で、あとお母さんとお兄ちゃんがいるみたい」 「はは、侑子は幸せ者だな」 「うん」  侑子は素直にうなずいた。 「また眠くなってきた。お風呂に入って寝るね」 「ああ、そうしろ」  彼女はキッチンから出て、着替えを取りに階段を上った。
/42ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加