変化

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変化

 それから侑子は、登下校で一組側の階段を使うようになった。  下足室からは六組側のほうが近く、ほとんどの生徒がそちらを利用するため、遠回りすると空いていて歩きやすい。  二階には一年の教室が並ぶ。あたりを行き交う生徒は幼いが、春よりは高校に馴染んだ様子だ。それを横目に見て、侑子は三階へ向かう。  踊り場まで数段というとき、バタバタと下りてくる足音がした。 「いるのはCDラジカセとコードだよな。って、間に合うのかこれ」  声がしたとたん、階段を折り返す男子がパッと目の前に現れた。侑子は驚いて足を止め、手すりに身を寄せる。  彼は勢いのまま下りながら、回り込んだ。向こうの壁に腕をついて、ホッと息をつく。改めて侑子に目を向け、申し訳なさそうに顔の前で手を立てた。 「ごめん。ビックリさせて」 「ううん、大丈夫」 「良かったー。衝突したらシャレになんなかった」  侑子は安心させるために笑ってみせた。  けれど、相手が三組の仁科であることに、ハッとする。ほとんど知らない人だが、このあいだ学食で見かけた。  踊り場にもう一人が姿を現す。栗色の髪がハッキリしている。  彼は左右どちらにも目をくれず、足早に階段を下りた。 「行こ」 「あ、置いてくなよ、楠。ほんとごめんッ」  後半は彼女に告げ、仁科があわてて追いかける。  侑子は二階を見下ろしたまま、しばらく動けなかった。 * * *  目の前で、青いシャーペンが上下に揺れる。  ぼんやりしていた侑子はその動きで我に返り、こたつテーブルの向かいにいる佳孝を見た。いとこはシャーペンを振るのをやめ、しょうがないなと笑みを浮かべた。 「今日は集中できないみたいだな」 「あっ、ごめん……」  テーブルには教科書やノートが広げられている。  ここは佳孝の部屋だ。一人よりはかどるので、試験前はよく一緒に勉強する。分からないところを教えてもらうこともあった。  佳孝は世界史、侑子は生物に取りかかっていた。彼女はノートの1ページ目で停滞中だ。 「復習しなきゃ」 「ちょっと休憩しよ。ルーズリーフ買いにコンビニ行きたいんだ」 「私も行くの?」 「息抜き、息抜き」  佳孝は立ち上がって財布をジーパンのポケットに突っ込み、侑子を促した。玄関で靴を履いていると、リビングから伯母が顔を覗かせた。 「もうすぐ夕ごはんよ」 「そこのコンビニだから」 「遅くならないようにね」  佳孝は侑子の背中を押して外に出た。 「チャリじゃなくて歩きで行くか」 「うん」 「じゃあ、レッツゴーだ」  門に向かう彼のあとを、侑子は追う。  町は夕焼けに包まれてオレンジ色に染まっていた。空は無造作に雲がちぎれ、西のほうが金色に輝く。陽光で山の輪郭がぼやける。 「空がきれい」 「ほんとだな」 「ごめんね、勉強してたのに」 「この程度の息抜きでどうにかなるほど、成績ヤバくないって」  侑子はクスッと笑った。 「通知表、赤ばかりにならない?」 「だったら、俺に教わってる侑子はもっと危ないぞ」 「やだ、うつさないでー」 「俺のせいかよっ」  やれやれという顔になる佳孝と共に、のんびり道を進んだ。  家族とくだらないやり取りをするとリラックスする。イヤなことや哀しいことがあっても、元気を取り戻せる。  暑さが和らいで涼しい風が吹く。遠くで木々の葉がざわめいた。 「ねぇ、よしくん」 「んー?」 「夏祭り、行ける?」 「仲間はずれにする気かよ」 「だって……」  侑子が言いよどむと、佳孝は顔を向けてニッと笑った。 「受験生だからって? 一日でどうにかなるほどヤバくない」 「ほんとに? 嘘じゃない?」 「俺、信用ねぇのな」 「違うよ。家族みんなで行くのがいいもん」  侑子がすねた口調でひとりごちる。佳孝はなだめるように彼女の頭を撫でた。 「お前が駄々こねてるうちは、付き合ってやんないとな」 「私のせいみたい」 「いえいえ。侑子サマのおかげです」 「なんとなくむかつくー」 「気難しいお嬢さまだこと」  やがて、明るいコンビニが見えてきた。佳孝が提案する。 「食べたいお菓子があったら買ってやるよ」 「わーい。じゃあ箱買い」 「……予算は五百円まで」 「ひとくちチョコだったらいっぱい買えるね」 「店員とほかの客に迷惑だから、ほどほどにな」 「注文の多い財布だなぁ」  じろりと睨む佳孝に、侑子はいたずらっぽく笑った。  コンビニに入る。佳孝は「ちょっとだけ」と断って雑誌コーナーへ行き、スポーツ誌を開いた。侑子はお菓子の棚に向かい、新製品をチェックした。  小箱チョコを手にして、棚越しにいとこの背中を眺める。  佳孝の第一志望の大学は、ここから通うにはすこし遠い。いつまで兄妹みたいにしていられるのだろう。  ずっと今だったらいいのに。侑子は願っても仕方のないことを思った。
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