プロローグ

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プロローグ

 窓の外の景色が高速で流れていく。  東に向かう新幹線は、街を山をひた走る。隣の席の母親は、あっという間に寝入ってしまった。足元のリュックにポータブルMDプレーヤーや推理小説が入っているけれど、手を伸ばす気にはなれない。  トンネルをいくつ抜けても、景色は似たり寄ったりだ。車内アナウンスがまた、県境を越えたと告げる。  見送ってくれた友人たちの「元気でな」という声が遠ざかる。  二時間あまりが数日にも感じた。眠気を覚えたころ、乗り換えが近づく。  快速で四十五分、さらに特急で一時間。目的の駅は、こじんまりした旅館のような建物だ。昔は大きく感じたが、いま見れば田舎の小駅にすぎない。  タクシーに乗り込む。運転手に行き先を告げた母親は、シートに沈んで外を見やった。  疲労の表情を隠さなくなったのは、故郷に迎え入れられたからだろう。その様子を気遣ってか、運転手は後部座席へ話しかけてこなかった。  駅の周辺にはたくさんの宿泊施設が立ち並ぶ。しかし、すぐのどかな風景に切り替わった。  車の行き来はあるものの、人の姿はほとんど見られない。何度か訪れた町だけれど、今日はとびきりよそよそしい。  国道を横切って高速をくぐる。あたりは緑豊かな自然と坂ばかりになった。 「――ここは変わらないわ」  母親がため息まじりにつぶやいた。  見覚えのある神社を通り過ぎたあと、暖色と緑の看板を掲げたコンビニが姿を現す。むかし来たときあの店はなかった。だが隣の独り言には反論しない。  やがてタクシーは細道に入り、住宅地をのろのろ進んだ。家々の向こうに山影がかすむ。  母親が、適当な場所でタクシーを止めさせた。料金を払うあいだ、こちらは二人分の荷物を持って車外に出る。澄んだ空気を吸い込む。ああ、懐かしい。  タクシーが走り去る。母親は荷物を受け取り、気乗りしない顔で家路を辿った。  後に続きながら、記憶の景色に視線を送る。かつて遊んだ田んぼもあのころのままだ。  古びた一軒家へ辿り着く。母親がガラガラと戸を開いた。この町は、鍵を閉めることに無頓着だ。  母親は奥に向かって、「ただいま」と投げやりに言った。靴を脱いでいると、おっとりした雰囲気の祖母が足早に出てきた。 「お帰りなさい。疲れたでしょう」  母親は、祖母とろくに目を合わせず廊下を進み、居間に荷物を置いた。 「寝るわ。上に布団あったよね」 「ええ、押し入れに」  母親は二階へ上っていった。祖母が心配そうな顔を階段へ向けたが、すぐにこちらへ微笑みかけた。 「大きくなったわね。ほらほら、座って。のどは渇いてない? お昼はもう取ったの?」  水が欲しい、昼食はまだ、と答える。  祖母はグラスに水を汲んでくれた。次いで、「何がいいかしら。適当に買い物しておいたけれど」と冷蔵庫を開ける。  ポツリポツリとした返事でも、彼女は楽しそうだ。久しぶりに孫の面倒を見るのが嬉しいらしい。 「ゆっくりお風呂に入って休めばいいわ。明日かあさってに三人で出かけようか。美味しいものでも食べましょう」  歓迎は嬉しいが、うんと応じられなかった。  その予定は週末にしてほしい、学校に行きたい、と告げる。祖母はすこし驚いたが、「分かったわ」と意思を尊重してくれた。  ためらったあと、行ってもいいのか、とつぶやく。すると、祖母はこちらの不安を笑い飛ばした。 「当たり前でしょう」  ほっとした。
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