神様とのルール

1/1
前へ
/1ページ
次へ
「ゲンゴロ! あれを見るのだ!」  ハタタカは前方の三叉路を指差し、下男に声をかけた。が、当の青年は車の後部座席で、毛布を被って知らんぷりをしている。十歳の少女は毛布を丁寧に剥ぎ、あらわれた白髪の青年にもう一度同じことをしてみせた。  ゲンゴロは、まず眩しさで、ついで主人の指す先の光景に、片目をしかめた。  古道の三叉路の一角、大樹と標識の周りに、無数に立ち並ぶ二又の枝。  車は三叉路の前で止まった。ハタタカはゲンゴロを連れて、枝が立ち並ぶ一角へと向かう。 「北の民はここで枝を立てて、三叉路の神様に旅の安全を祈る、と聞いたのだ」  少女は、近くの木の周りに落ちている枝を拾って立てた。 「ゲンゴロもここで祈ったことあるのだ?」 「ああ…まあ」  北の民ゲンゴロは、ボンヤリと返事した。かつての仲間とここを通ったのは、まだ北に国があった頃のことだ。当時の暖かな記憶が、心に爪を立てて軋む。 「じゃあ、この枝の中にゲンゴロが立てたのも」 「ねぇよ」  思わず乱暴に答えてしまい、下男は内心舌打ちした。知らぬこととはいえ、あるじは喜ばそうとここに来たに違いないのだ。 「……昔すぎて、もう残ってないのだ?」 「俺らは立てたまんまにしねえのさ」  ゲンゴロは、背中の十手を抜き、振って構えた。楽園への長い道のりと、地獄への短い道のりを表す、世界の縮図。 「俺らにとっちゃ『偉大なる三叉路は、常にそこにあり、しかして常に動くもの』。二又の枝は、神様に足を止めてもらい、言葉を聞いてもらうための合図。用が済みゃ下げる。神様もまた他所へ行っちまぁ」  十手を振り、背中に戻す。 「俺らの神様は、そういうもんだ。だから枝をずっと立ててはおかねぇのさ」 「そうなのだ?……これは神様ではないのだ?」  不思議そうに枝の群れを見るハタタカに、ゲンゴロは苦く笑った。 「オメェらテマリ新教徒は、あちこちに神様の像を立てて置くから、そう思うよなぁ」  きっと、新教大国テルテマルテに制圧されてから、神像を常設して祀る文化が北部旧教の風習に混ざったのだろう。下男は片目を細めた。  これが、戦に負けるということ。 「じゃあ…私が立てたのも、抜いたほうがいいのだ…?」  ハタタカは枝を抜いた。 「立てておくのが今の決まりなら、それでいいんじゃねぇか。はそういうモンなんだろ?」  少女は考え、もう一度挿して、もう一度祈った。旅の安全と、使命の成功を。  ゲンゴロも枝を拾い、振って土に差し、旧語で祈りの言葉を述べた。北の民は、神様には旧い言葉で話すのが決まりだ。  ハタタカに旧語はサッパリわからない。だが、普段は荒っぽく無礼な下男が、神様の前ではとても礼儀正しくなる。その姿が結構好きだった。  ゲンゴロは、枝を抜きかけ、少し躊躇い、やっぱり抜いた。それが、との決まりだ。例え国が滅びて久しい今、なおこの世界に居てくれるか、わからなくても。  二人はまた車に乗り込んだ。 「ゲンゴロは何を祈ったのだ?」 「……道の終わりまで歩ききれるように、と」 「私と同じなのだ!」  同じではない。ただ、笑顔の主人に無粋な指摘はせず、下男も笑顔を作ってみせた。  昔の記憶とおかした罪が、度々ゲンゴロを押しつぶす。軽くしろとは思わない。これは己が抱えるべきもの。それでいい。  だが、自分に手を差し伸べた、この小さな主人の為に。  この子供が背負わされた、大きな使命の為に。  三叉路を振り返る。 『偉大なる我らの神よ、もしまだこの天地にいらっしゃるならば。  この罪と穢れた身を抱えて尚、最後まで主人の為に、歩を進められますように』  下男の倒した枝が、風に吹かれて転がっていった。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加