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人間の顔じゃない。もちろんナメクジやカタツムリみたいな顔でもない。あらわれたのは蝋人形のように人間に見せかけたシリコン製の作り物だ。
「俺は用心深くてね、防刃も兼ねた丈夫なシリコンの着ぐるみや防弾チョッキを着ているのさ」
これを見て、ファイアードールは悔しがった。
「なんだ、仮面の下も仮面か!」
そんな犯人を眺めながら、スラグは心の中で笑った。
(違うな、本当は人型のドローンさ、いわばアバター、薬品だけで人が都合よく超人になったりするわけないだろう!)
あの水溶液は《ボディ》に人間の動きを伝えるいわば媒体の役目をするものだった。つまり深海用の人型ドローン開発のために人間の意思を効率よく伝える水溶液を研究していたのだ。そうでないと、人間なんか水圧ですぐにペシャンコになってしまう。おまけに酸素やら潜る時間に制約がありすぎる。水中で長時間活動するには人間の代わりに動く身代わりが必要だった。
スラグは研究段階とはいえ、水溶液に身を浸すことで、身代わりのドローンを操縦していた。
これは警察内でも機密だった。犯罪者には得体の知れない超人がいるとしたほうが都合がいい。
(ジャミングでもされたら、面倒だからな)
正体がわかれば、妨害電波でドローンは無効化できるし、ファイアードールのような犯罪者に知られたら目も当てられない。スパイして軍事目的に転用したい国はいくらでも存在するだろうし、もしブラックマーケットに、このドローンが商品として並んだら、ヒーローどころか世界の脅威になりかねない。
そんなカラクリだとは知らないファイアードールは悔しがった。
「いったい、どうやってテメエみたいなバケモンが生まれて来たんだっ!」
「宿題だな、ゆっくり刑務所で考えろ」
「ちくしょう! それで勝ったつもりか! 知ってるぞ! なんで雨の日だけ現われるのか! てめえは熱せられた水溶液の副作用で紫外線を浴びたらアウトなんだよ! あーははははは! 正体だってわかってるんだ! もう情報は仲間内に流してある! 丸裸なんだよ! 俺を投獄しても、世界中の悪党がお前を狙うぞ! せいぜい用心するんだな! 池又!」
だが、そんな脅し文句もスラグには、まったく通じなかった。
「やめておけ、床でのびた、その格好で凄んでもちっとも迫力がないぞ――神妙にするこったな。それに俺は池又先生じゃない。本物は火傷が癒えて、来週に退院だ」
「なにぃ! そ、そんな馬鹿な!」
ファイアードールは動揺して、目をせわしなくギョロつかせたが、焦ってもムダで、動きたくても全身打撲で這いずって逃げることもできない。
「もういい加減に気づけよ、お前は罠に飛び込んだまぬけなのさ」
ファイアードールの口が驚愕のあまり、あんぐりと開いた。
これに対して、あくまでスラグはポーカーフェイスだ。
「よく考えてみろ、格闘技とか経験がなければ大学の先生に悪党退治は無理だ」
「ええ! じゃあ、いったい誰なんだ! てめえ!」
「それを言うほど優しくない」
そんな二人のところへ、警官達と一緒に藤堂が駆けつけて来て、ファイアードールたちを見廻して大きく溜息をついた。
「うわっ! こりゃまたド派手にやりましたね! こいつら生きてるんですか?」と、たずねる彼女に、このようにスラグこと蒼井雄介(あおいゆうすけ)警視は答えた。
「ああ、全員、全治一か月だろうよ」
彼もまたファイアードールの襲撃からの生き残りだ。
蒼井の場合、全身やけどどころか、顔は爆弾で骨ごと吹き飛び、耳、眼、鼻、上顎や下顎さえ失って器のようになっていた。身体の損傷も激しく、腕は両肩からなくし、下半身は両脚が膝からない。頭蓋骨さえところどころ破損して、金属で修復している有様だ。この重傷で脳に後遺症もなく生還できたのは奇跡という他ない。本来なら退職だが、彼の場合、そうはならなかった。皮肉にも、この負傷がアバター型のドローンの操縦者として誰よりも優れた特性を備える事になったのだ。
池又が開発したアバター型ドローンは肉体とシンクロするために、部品のどこかが傷つくと操縦者も痛みを感じてしまう欠点があった。
もしドローンの脚を銃弾で失ったら、痛みで失神、または即死するほどのショックを操縦者は受けてしまう。
ところが身体が激しく欠損した蒼井なら、胴体を切断されない限りダメージはゼロだ。本来はキャリア組だが、傷が原因で出世コースから外れたのは痛し痒しだ。
プロトタイプなので感覚器官が整っておらず、不便もある。
肌と鼻がないから触覚と嗅覚はないが、それでも蒼井は視覚、聴覚、口、強靭な手足が取り戻せる。
よって彼は月に一度の診察以外は、日中はドローンとシンクロして過ごすことが多くなっていた。
雨に活動するのは身体の副作用のせいではなく、燃費の問題だ。水素エネルギーで動くドローンは晴れた日だと稼働時間が制限されて10分しか動けないが、雨の日なら、常に大気中の水分を補給するので稼働時間に制限がない。部下に任せずに悪党と対峙するのは雨の日だけだ。だからこそ池又准教授が協力するのも雨の日に限られている。
当然、晴れた日はドローンの性能は著しく低下し、非常事態以外、使えるのは口と視覚、聴覚だけに限られ、不自由な車椅子ですごすしかない。
現場周辺の捜査は部下の藤堂の役目で、眼鏡に仕掛けられた隠しカメラで蒼井に見せたり、スーツの胸ポケットのピンマイクで報告したりするのが仕事になっている。おかげで藤堂は仕事中は上司の悪口を言うのさえ用心して優等生でなくてはならない。全部、蒼井に筒抜けになるからだ。
そんな役割をベテラン刑事たちが引き受けるわけもなく、新米刑事の彼女に押し付けられたのはごく自然のなりゆきだった。おかげで鬼からしごかれる、しごかれる。
彼女は舌打ちをして、懐中からスマートホンを取り出した。
「こんな連中に救急車呼ばなきゃならないなんて、めんどくさい!」
そう言いながら、藤堂は身動きできないファイアードールの腹を蹴った。
「ぎゃっ!」と、ファイアードールは悲鳴をあげたが、藤堂が情けをかける様子はない。
「覚悟しなさい! これからは、ゆっくりと牢屋で頭を冷やすのよ! ゆ~っくりとね!」
こうしてファイアードールは司法の裁きを受けることになったが、藤堂はこのように考えた。
(このあと、警視の家族の墓参りに付き合わされるんだろうな……)
偶然にも墓場は大学の目と鼻の先に位置する。
正直、上司のプライベートに足を踏み入れるのは気が進まないが、案の定、蒼井から「あいつの取り調べを終えてからでいいから、ちょっと連れて行ってほしい場所があるんだ」と、彼女は頼まれた。スラグを操作しての自動車の運転は法に触れるからだ。
了
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