第25章 民俗学者は安楽椅子に座ってられない

12/15
前へ
/29ページ
次へ
マンションの出入り口まで二人して見送りに降りてきて、出て行く車(今回隣の県まで移動しなきゃならなかったので、再び蒲生家のを借りてきた)に向けて手を振ってくれる母たちに手を振り返しながら、わたしは運転席の先生を早速問い詰める。彼はけろんとして当たり前のような顔つきでそう打ち明けた。 「何しろ街で育った人間には理解不能なくらい、その土地では絶対的な力を持ってる連中で。役所も警察も学校もみんな意のままに従えてるからどこに訴えることもできなくて、二人にセクハラされ放題でずっと耐えてたんだって言ったよ。別に事実だろ、そこは?」 「うんまぁ。…すごくマイルドだけど、実態よりは」 お父さんは確かに警察の人だけど、その上層部も完全に双子に丸め込まれてるってわかったから。彼に被害を訴えるとどうしようもなく板挟みになって困らせると思って言えなかったらしいと説明すると、父の性格を熟知してる母はあー、と思い当たる顔つきですぐに頷いたという。…ちょっと、気の毒。 母から無事お墨付きを頂きようやく本格的に心が軽くなったのか、先生は目に見えて往きよりも明るい表情になってハンドルを握りながら言葉の先を継いだ。 「お母さんの協力もあって何とか逃げ出して、大学にも通ってもう過ぎたことだから忘れようと考えてたんだけど。村に残ってる友達から、今も彼らが柚季のこと探しててまだ自分たちの婚約者だ、と村で公言してるらしい。たびたび○×市辺りにも出張ってきてるって最近知らされて」 「そうですね」 水底さんに実際言われた。よし、事実だな。とおもむろに頷く。 「一方でうちの研究室でも、村から近い◎◎県の大学とこれから共同研究を進めようって話が持ち上がってるタイミングで。今後向こうとの行き来が増えそうな状況でこれはさすがに不安だから、だったら俺ともう気持ちがお互い通じ合ってて将来を共にしようって合意は既に成立してるので。いっそ思いきって今入籍してしまえばもう、あの連中は柚季に対してもう何もできなくなるだろう。ってことでつい手続きを急いでしまった、と」 「…なるほど」 入籍した日も今まさに双子が○×市で柚季を探してるって聞いて、思わず僕も彼女も焦ってしまったんです。と曇りなき眼で堂々と言い張り通したらしい。…まあ、一部を除いては。完全に嘘とは言い難いかもだけど。 「決して勢いだとかいい加減な気持ちじゃなくて。本心から彼女が今後も僕のそばにいたいと望み続ける限り、ずっと末長くいつまでも大切にし続けて生涯支えていくつもりでいますと言っておいたよ。…別におかしくないだろ。何で笑ってんだ?」 「いや、…それ。わたしにも同じこと、直接言ってくれたらいいのにって」 こっちに直に向き合うときより言葉のセレクションの気前がいいのは何故なんだろ。腹が立つとか呆れるとかより、最早もう笑えてくるんですけど。 彼はまるで自覚がない、って態度できょとんと悪気なく言い返してきた。 「え、言ってないか?普通に。ちゃんと結婚申し込んだときにお前には言ったよ。同じこと、それと」 「言ったっけ。言ったかなぁ、あのとき」 何しろいろんなことが一度に押し寄せてきて、こっちの頭もまるで余裕なかったからなぁ。何言われて何て答えたか、全部完璧に覚えてるかって言われたら、まあ無理。 「翌日に速攻で入籍済ませるメリットは確かに力説されたし。じゃあコンビニ今から行ってくる、って言われて慌ただしく部屋を出て行ったのは記憶にあるけど末長く大切にするとか一生そばにいたいとかは、言われたかな…。とにかく何が起こってるのか、情報を脳内で整理するだけでいっぱいいっぱいだったから…」 「わかった、わかった。じゃあ、今日このあと言うよ。家に着いたらな、今は運転中だし。どうしても上の空になるから」 正面にしっかり目線を向けたまま彼はやや適当な口調で話を切り上げようとする。まあ、それはそうかな。 「いいよ、今ここで適当に口から出まかせ並べられて後で何言ったか覚えられてないよりは。だったら夜、部屋で二人きりになってから。顔をしっかり見合わせてちゃんと言ってくれるんだよね?選りすぐったとっておきの言葉で、プロポーズのやり直し」 「え、今言ったのとそんなに変わらないと思うけど…。あれ以上何を?」 面倒くさい、と思ってるのがありありの腰の引けた口振り。そうはいくか。 「いや、いろいろあるでしょ。そもそもわたしの何処が好きになったの?正直そこがわかんないし…。何でわたしなんだろ。たまたま困ってる状態でそこにいて、助けたいと思ったから?それにしても特に個性つよつよでもないし、飛び抜けた美点もないし。こんなに超普通のぱっとしないただの子どもなのに、これまで特に誰かにめちゃくちゃ惹かれたこともなさそうな人が。どうして?…ってのは。説明がないと納得いかない、かも」 思わず助手席で考え込むわたし。先生がハンドルを切りながらしょうがないなぁ、みたいな口振りでそれに応える。 「言わなきゃわかんないもんか。でも、それを言い出したらお前もだけど。俺なんかの何処がいいの?うちの親も言ってたけど。愛想も面白味も親しみもないし。見た目もどうってことないしだいぶ歳上過ぎるし、何で?ってのはあるな、確かに。こっちも」
/29ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加