第25章 民俗学者は安楽椅子に座ってられない

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「気持ちわかります。ほんと謎ですよね、あの人の頭の中。一体どうなってるんだろう…」 仕事のパートナーと人生のパートナーで、額を突き合わせてしみじみと納得し合う。 とにかく、霊感のお告げのなせる技なのか。今のところ事態は蒲生先生が予め予想した通りに進んでいるようだ。 水底さんからの報告によると、大丈夫だからそのまま相手に伝えて。と先生から言われた通りに、今後水の効果が薄れていくことを考えて、避妊具を大量購入して村民みんなに配布して使ってもらう局面に来てると思う。と恐るおそる双子に告げると、二人は一旦押し黙ったあとにああ、そうだね。と何故かすんなり納得し、すぐさま手配に動き始めたという。 『無意識に神さまの状態の変化を察知してるはずだから、こっちからきっかけを作ってあげさえすればちゃんと対策を打ち始めるはずだよ。とは蒲生先生から確かに言われてはいたけど、本当にこんなにあっさりとは…。それくらいならむしろ、他人から背中押される必要もなく自分たちで自主的に動き始めても。よかったんじゃない?とは思うけど』 ちょっと不服げな水底さんにそんな風に愚痴をこぼされた。 「やっぱり、そういうところが普通の人間とはちょっと感覚が違ってるってことなのかな。先生もそこは彼らが自分たちで対策を考えるだろうと思ってたから、そのまま水を汲みに行かれてちょっとびっくりしたらしいです。けど、軽く手を添えてそっちに向きを変えてやれば。あとは自分で動くから、って」 『面倒くさいものなのね、神さまのシステムって』 そう毒づきながらも、ちょっと声が弾んでる。わたしが先生と入籍を済ませたって話を打ち明けた直後だったからだと思う。 『よかった、柚季ちゃんがようやく幸せになって。…本当に、うちの兄たちのせいで。恋愛や異性とのことがトラウマになったりしたらどうしよう。ってずっと心配だったから…』 「案外記憶力ないんで、大丈夫でしたよ。自分でもびっくりするくらい当時の細かいこともう覚えてないし…。それより、水底さんですよ。ずっとこれからもそこにいるの?いえ、村で役割を果たすのはいいんです。けどずっと張りつきっ放しでなくてもいいんじゃないかなぁ。自由に出かけたり、下の街で遊んだりしては?っていうか、いっそ大学行きませんか。そしたらわたしも。今後共同研究で●●大に顔出したとき、そこで自由に水底さんと会えるし」 彼女はすっかり怖気づいた声で謙遜してみせた。 『いえ、今から受験は。さすがに無理よ…。思えばちゃんとした高校も行ってないもん。大学なんて。夢のまた夢、基礎からまるでなってないし』 「はあ。それはまあ、来年すぐにとは難しいでしょうけど。ブランクがあったのは確かだし…」 本人は無理無理って言ってるけど。水底さんは本来相当頭のいい人だし、単純に進学向けの体系立った勉強をした経験がないっていうだけの話だから。ゆっくり時間をかけて適正な準備を積み重ねていけば、大学だって夢じゃないって気はするけどな。少なくとも通信課程で高校卒業資格は取ってたはずだし。 そうだ、まずは村のことをいろいろ教えてもらうって理由で瀬山先生の研究室所属の客員みたいな待遇にしてもらって。そこに通いながら皆に大学のことをいろいろ教えてもらいつつ、並行して受験勉強を進めるのはどうだろう。それならわたしもなるべくこまめに手伝いにと通うし。 ずっと村から一歩も出られずに詰め切り、っていうより世界や人間関係も広がる。自分には村での役割しかないって頑なな思い込みが外れるかもしれない、いい機会になると思うけどなぁ。 「…いや、水底さんの将来のことも気がかりだけど。柚季、あんた他人のことより。まずは自分から始めないと」 「へ?」 気がつくとマシンが立てていたこぽこぽ音は既に止まっている。由田さんはさっさと立ち上がっていって手早く紙コップをテーブルの上に並べ、漆黒の熱い液体が並々と入ったボットを携えて戻ってくるとクールに言い放った。 「年明けたら、もうすぐにゼミのセレクションだよ?うちのゼミ、こう見えて毎年結構志望者来るから。その中でちゃんと最後まで残れるって自信ある、成績とかこれまでの実績とか?…先生の奥さんだからって特別扱いできないよ。てかむしろ、だからこそ。縁故で優先されたって傍から言われないだけの結果出さないと」 「ひえ。…そりゃそうか」 それまですっかり油断しきってたわたしは、指摘されて慌てて首を縮めた。 「先生に色仕掛けで接近して取り入った、なんてこそこそ言われたら。何より彼の名誉に傷がつくんですもんね。わたしはまあ、名もない一学生だから何言われても屁でもないけど。ただでさえ学生に手を出した講師って色眼鏡で見られかねないんだから。…わたしがあまりに凡庸だと縁故採用って言われちゃうのか。はあ、きっついなぁ…」 そもそも、ここの研究室に来たときには。来年このゼミに入りたいなんて全然思ってもみなかったから、そういう下心を疑われる危険性についてなんて。まるで警戒心がなかった。 だけど、こうして数カ月間を研究室のみんなと一緒に過ごして乗り越えてきた今では。できたらやっぱり、ここでもっとたくさんのことを見て、聞いて経験して先輩たちや先生と共に頑張りたい。結局そういう気持ちになってしまった。
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