第25章 民俗学者は安楽椅子に座ってられない

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見た感じ、こちらから話しかければ会話は成立するとは言うものの。特別身内として尊重して接してる様子はなかった妹が、村のシステムの根本を覆すような提案をいきなり持ち出したのに対して。それはいい案だそうしよう、とするっと納得するよりは。何だかんだ抵抗したり逆に完無視で全く取り合わないでいたり。と、なっちゃう危惧はないのかな…。 すると、彼はLINEの送信を済ませたスマホをテーブルの上に置いてから、わたしを安心させるかのように頼もしい表情で強く頷いた。 「それは。大丈夫だと思う。自分の力ではコース変更できない仕様だけど、変えていかないと存続できないって現実は既に本能的に察してるはずだから…。多分、言い出したこっちが拍子抜けするくらいあっさりとじゃあそうするか。ってスムーズに受け入れると思うよ。そんな風にこっちからいろいろと折を見て助言して、軌道修正していくしかないけど。水底さんにも伝えたけど、案外今後は彼らもそれを嫌がらず素直に受け止めるはずだから」 そんなもの?とそのときは怪しんだけど。実際、蓋を開けてみると結局は概ねそんな風に事態は進んでいったのだった。その件の続きはまた改めて後日ということになるが。 一方でこちら、作戦当日のわたしと先生側の視点に話は戻る。 朝、先に起きていた先生の身支度の気配に気づいて起き出したわたしは既に沖さんと先生が署名を済ませていた婚姻届を差し出され、素直にそこに自分の名を記入した。これであとは、保証人の欄に父の署名をもらうだけだ。 「…お父さんに。めちゃくちゃ叱り飛ばされても言い返せないな。大事な娘を信じて預けた大学で、まさか指導者が手を出すなんてとか言われても。仕方ない話だし…」 湖組の作業の裏での陽動って意図でもあるので、まだ時間は早い。深まる秋の気配でややしんとした山道を車で走り抜けながら、珍しく弱気な口振りでぽつりと蒲生先生はそう呟いた。 わたしは自分の親のことなので、特に気を張る必要もなく平然と首を傾ける。 あれ以来久しぶりに顔を合わせるから、改めて黙って出て行ったことについて謝らなきゃ。とか、わたしが官舎に顔出したことが誰かのご注進で伝わったりしたら、双子が慌てて○×市から戻って即、駆けつけてくるかも。なんていう考えはずっと頭の隅で燻ってるけど。 うちの父親がわたしの連れてきた結婚相手を昭和の親父面して殴る、とかいうシナリオはさすがにリアリティがなさ過ぎて考える気にもならない。 「あの人に限ってそれはないよ。そういうタイプじゃないの。とにかく穏やかでおっとりお人よしっていうか…。すごく悪く言うと事なかれ主義、物事を荒立てたくないの。初対面の他人をいきなり怒鳴る、とかは。正直想像できない」 「そうなのか?警察官なのに」 先生の意外と一般人的な感想が何だか面白く感じられて、わたしは思わず破顔した。 「身近に警察官いないの?当たり前だけどあの人たちも普通の人間だし。みんなぎちぎちに厳格な性格で四角四面でルールに厳しくて…ってわけじゃない。そういう傾向があるにしても、仕事中とプライベートの素の性格はちょっと違ってるってこともあるし。うちの父はね、とにかく温厚で優しいよ。何でもうんうん、ってにこにこ聞いてくれる。その分相手に対してあまり強いことも言えないんだけど」 「…任務中はもちろんちゃんと対応するんだろうけど。それにしても、仕事内容を考えるとなかなか難儀そうだな」 わたしの身内のことだから気を遣って言葉を選んでる。けど、翻訳してぶっちゃけた表現に変換すれば、そんなんで警察官やってけるのか。ってことだよね。まあ、気持ちはわからなくもない。娘のわたしも常々そう思ってるわけだから。 「ああ、でもすごくこういうとこ警察の人だな。って思う部分もあって。何ていうか、偉い相手とか。権威にめちゃめちゃ弱いの」 「それは。…警察官全般に対する風評被害のような」 口ごもる先生の反応は気にせず、わたしは話を続ける。 「だから警察組織の上層部とか、お役所の人とかになんか言われるとすぐ頭下げちゃうし。社会的に地位が高い人にも、問答無用で本気で敬服しちゃう。だから、わたしが引っ越してきて早々に村一番の名家の当主に見初められた。ってなったら、そのまま気に入られて是非とも嫁入りしてほしいって後押しする気満々だったよ。高校一年と大学卒業したてくらいだったんだけどね。当時年齢差」 16歳と23歳。今なら20歳と27歳だから、もちろん社会常識的にはどうってことないとは思うけど。とにかくこっちは中学卒業して間もない未成年だったから、あのときは。 それを耳にして先生は運転に集中を切らさないよう前方に視線を向けたままながら、思わずといった様子で肩をすぼめた。 「そうか、夜祭家の信奉者なんだ。そう考えると尚更俺は立場ないな。頭はいくらでも下げるつもりだし、結果的にうんとは言ってもらえなくてもそれはそれとしてお前とは結婚するけど。…快く承諾して署名をもらうってわけにはいかなさそうか。まあでも、挨拶はきちんとしないとだし」 だけど、夜祭家に知らせてでもこの結婚をやめさせようとはなるかもな、お父さん。と呟いてじっと考え込み始めたのを見て取り、わたしは慌てて助手席でぱたぱたしてこちらに注意を引こうと試みた。
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