第25章 民俗学者は安楽椅子に座ってられない

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「いや違うの、そうじゃなくて。…権威に弱いって言ったでしょ。うちの父の価値観では、村一番の伝統ある名家の跡取りと遜色ないくらい大学の先生って、地位が上だと思う。だから、先生の肩書き知ったら多分諸手を挙げて歓迎するはずだよ。反対されるビジョンが思い浮かばない、全然」 わたしが強くそう請け合っても、先生の疑り深そうな声色は晴れない。 「そうか?…いや普通に考えたら。何代も続く資産持ちの旧家の当主と、しがない一大学教員、しかも講師だなんて。まるっきり勝負にもならないけど。戦わずして負けてるイメージしかないぞ。もちろん、一般的な社会的地位において。だけどさ、基準は」 他の要素でならそれなりに張り合える自信がある、って意味ですね。それはそれで嬉しいが。 わたしは笑顔でぶんぶん、と首を振った。 「うちの父からしたらほとんど違いはないよ。自分は高卒だし、うちの母も専門卒でこれまでみんなあんまり大学に縁がなかったから。最高学府で先生やってるってだけでなんかすごいんだって無条件に尊敬しちゃうと思う。実態知らない人の方が夢あるんじゃないかな。現実は、まあ。…いや蒲生先生のことじゃないよ?先生個人はまじですごいけど。頭いいし、こんなに若くても評価高くてちゃんと実績もあるし」 あの若さで次はそろそろ准教授。と学内では囁かれて皆から将来を嘱望されてるのを最近知ったから。別に心にもないお世辞とかじゃない、と語気を強めた。 わたしが熱心に誉めそやすのに照れたのか。彼はやや当惑したように視線を前方に彷徨わせ、ハンドルを切りながらぼそぼそと受け応える。 「うんまぁ…、よく実態知らない人から見たら。教授も講師も同じように思うのかもしれないし。そこら辺の誤解をわざわざ解くほどのことでもないか…。少なくとも、結婚を認めてもらうまでは。ちゃっかりその思い込みに便乗する一択だな」 「そうそう。知らないなら知らないままにしておくのがいいの、そんなのは」 明るく気軽な口を叩くと、さっきからちょっと緊張気味だった彼の表情もようやく和らいだ気配が。頬の辺りから感じ取れた。 「それにしても。追浜んとこ、両親とも大卒じゃないんだ。少し意外だな。警察官は高卒結構多いらしいからまあ。…お母さんは。確か、バリキャリの総合職なんじゃなかったか?」 「うちの母さん、毒親育ちだから。学費なくて大学行けなくて、夜間の専門学校行って資格取ってキャリア築いた人なんで。色んな意味で父親と真逆のタイプかな…。上手くいってるときは正反対の組み合わせって、お互いいいとこしか見えないみたいなんだけどね。今は、仕事で知り合った同志みたいな気の合った旦那さんと。結構幸せに暮らしてるよ」 何気なく自分ちの状況を説明したら、蒲生先生はやや重く受け止めたみたいで肩を落としてため息をついた。 「聞くだに大変だな。…お前もだけど。ご両親もこれまで、いろいろと苦労があったんだろう。追浜の話を最初に聞いたときは正直、そのとき親は何してたんだと思わないこともなかったけど…。それぞれ、いっぱいいっぱいな部分もあったんだろうな。普通に考えたらあんなことしてる集落が現代の日本にあるなんて。さすがに想像つくわけもないし…」 「わたしん家の話はまあ、いいけど。そういえば先生のお家って、どんな感じ?」 考えてみたらわたしは彼が育った環境について何も知らない。横から遮るようにそう問いかけると、彼は大して気にかけるほどのことでもない、と言いたげにうーん。と首を傾けて唸った。 「どうって、…普通。としか言いようがない気が…。本当、日本中どこにでもある一般的な地方の平凡すぎる家庭で。何の面白味もないよ。大学のある市の隣の市で、両親健在で姉の一家と同居してる。姉の家族は夫と子ども二人。姪っ子と甥っ子が大きくなってきて、そろそろ個室が欲しいから近所に家建てて別居するかもって…。つまんないよな、こんな話。普通のうち過ぎて」 「いいえぇ。…いいですよ、そういうの。憧れます」 わたしは浮き浮きして両手を打ち鳴らした。 「ずっと何だか常にごたごたしてる家庭環境で育ったから。ホームドラマとか、漫画で超普通の家族に囲まれてる主人公とかめっちゃ羨ましかった。きょうだいもいなかったから寂しかったですしね。…そっかあ、可愛い甥っ子姪っ子がいっぺんにできるんですね?結婚ていいなぁ、得しかない。…あーでも、わたしが先生のご家族に受け入れてもらえるかどうかはまた別の話だよね。こんな子どもみたいな頼りない嫁掴まされて、って。がっかりされるかもしれないよねぇ…」 急に自信がなくなって語尾から力が失せる。 どう考えても、立派に大学の講師にまでなった息子さんが。あからさまに教え子(じゃないけど!まだ)と思しき学生を連れてきて、もう既にこの子と入籍した。とか言って来たら。…思ってたのと違う、とはそりゃなるよね。うちの息子、実はロリコンだったのかって。 ぼそぼそと下を向いてそんなことを呟いてたら、失礼だな。と先生は憮然となって肩をそびやかした。
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