第25章 民俗学者は安楽椅子に座ってられない

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もっとも、昨日父に連絡して面会の約束をしたときには。まさかこんな用件になるとは、わたしだってまるで想定もしてはいなかったわけだが…。 「…いや、本当に。安心しました。大学の先生だなんて、こんなにご立派な偉い方に。この子を望んでいただけて…」 やっぱり肩書きに目眩しされてる。とちょっと首をすくめたけど、口では自分の娘のことをやたらと謙遜しながらも半分涙ぐんで何とか安堵と喜びを押し隠してるのを見ると。思い返してみればこれまで心配と苦労ばっかりかけたなぁ、と改めてしんみりしないこともない。 「…わたしはどうにも要領がよくないもんですから。柚季が母親の方からわたしの家に移りたい、と言ってくれたときには本当に嬉しくて大歓迎ではありつつも。やはり目も手も隅まできちんと行き届いてたとは。後から考えても、後悔ばかりで」 「そんなことないよ。楽しかったよ、一緒に住めて。わたしの方は」 ぐずぐず涙混じりに言われるとこっちもたまらなくて、思わず横から口を差し挟んでしまう。 「やっぱり、血の繋がったお父さんと二人でのんびり、気楽だったもん。いや向こうの、お母さんの旦那さんがどうってわけじゃないんだけどさ。あくまでお母さんの伴侶であってわたしの家族じゃないから、気を遣うのは仕方ないしお互い」 あんなにお世話になっといて悪口言ってると思われると困るので、急いでフォローした。それに、本当にちゃんといい人なんだ。わたしが村を逃げ出したときも、母と一緒にわざわざ足を運んで迎えに来てくれたし。でも、それはそれとして。 今は目の前の父の話なので。と頭を切り替えて話を続けた。 「…それに較べたら、お父さんのためにご飯を作ったり家を掃除したりして帰りを待つのは全然苦じゃなかったよ。自分のペースで好きなようにできるし、お父さん何でもにこにこ褒めてくれて。全然文句とか言わないし」 「そうなんだ。優しい、いいお父さんだね」 蒲生先生の相槌打つ声も、心なしかいつもより丸みがあって穏やかだ。こういうとこやっぱり、この人見かけよりもだいぶ真っ当な社交性がある。 でも、先生の真情を込めた言葉でも父の心に残った悔いは拭えないみたいで。震えるため息をついてティッシュを手にぐすぐすと、首を横に振って話を続けた。 「俺なんか…。お前の方こそ。お利口で賢い、いい娘だったよ。お父さんお仕事忙しいもんねって言って、何でも聞き分けよく無理も言わないで…」 そういう子だから安心してしまって。村で大変な思いをしてることもすっかり気づかずに、可哀想なことをしました。と呟いてから姿勢をきっちり正して先生に正面から向き直り、深々と頭を下げた。 「苦労させてしまいましたが、親馬鹿ながら本当にいい子で。可愛い大事な娘なんです。…どうか、末永く。この子をよろしくお願いします」 先生もそこは、見た目はわたしと同年代でも中身はしっかり大人。信頼の置けそうな落ち着いた声で、父を見据えて誠実に請け合った。 「はい、ご安心ください。何があってもお嬢さんを何より大切にして参ります。悲しい思いや辛い気持ちにさせることは絶対にないようにと誓ってお約束いたしますので、そこは。…どうか、信頼して頂けたら。と」 「さっき。…帰り際に何言ってたの?」 父はその日、普通に勤務があるので話を済ませて署名を無事もらい、早々に引き取った。 あのとき、家出するのに持ち出すのを諦めてたものが実はそこそこに残ってたので。わたしはもとの自室に入り込んでそのうちいくらかを選りすぐり、ごっそり抱えて出てきた。車だし、このくらいはまあいいよね。と自分に言い聞かせて。 そのときに玄関先で二人が声を落としてごそごそと話し合ってるのを見てしまった。わたしの顔を見て会話を切り上げたので、目の前では話したくないことなのかな?と察してその場ではそれ以上追及しなかったが。 やっぱり、夫になる人と父とがわたしの聞いてないところで一体何をやり取りしてたのかは一応気になる。教えられないようなことならそれはそう言ってくれれば引き下がるけど、と付け加えるとそんなことじゃないよ。と軽やかにハンドルを操りながら普通にあっさり教えてくれた。 「俺たちの結婚を認めてもらえたのは幸いだったけど。それはそれとして、夜祭家にそのことは知らせておこうとなってもやっぱり困るからね。せめて柚季がこの村から出て無事に向こうに着くまでは、追手がかかるようなことがないようにと。念のため、ブレーキをかけておいたんだ」 基本的に夜祭家の当主に対して好意的なスタンスのわたしの父に対し、彼らに軽く警戒心を持つようにと仕向けておく必要がある。と判断した彼は咄嗟に、わたしが村を出た理由をだいぶぼやかしてながら話しておくことにした。 「確か、柚季はお母さんには、本当にあったことをそのままは言えなくて村中のみんなから軽い集団苛めに遭ったってことにしてあるんだろ。だったらそれを伝え聞いてるお父さんは、きっと夜祭家はそれには関係ないと解釈してるだろうから。あの頃ご贔屓に与って可愛がってもらっていたうちの娘がすっかり元気になって久々にこっちに会いに来ましたよ、くらいの報告はしかねないかなぁ。とちょっと不安に思ったんだ」
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