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エプロンをしたまま伶を抱いた詩織が迎えてくれた。しばらく会っていなかったので、伶に泣かれるかと思ったが、伶は嬉しそうに小さな手を広げて笑ってくれた。
「久しぶりだな、伶。おいで」
灯真が両手で受け取って、高い高いというようにあやすとキャッキャと声をあげて喜んだ。生まれた頃よりは体重も増え、顔もしっかりしてきたが、まだ小さく、柔らかく、頼りなくて、赤ん坊というのはこんなにも無力で無防備な生き物なのだと実感した。
「まだ歩けないんだよね?」
「あと半年くらいかかるんじゃないかな。まだハイハイがやっとよ」
伶は抱いている灯真の顔を見上げていた。潤んだ目がキラキラとしていた。よだれまみれの半開きの口をタオル地のスタイでそっと拭いてやると「んば」と言って笑った。純也も赤ん坊の頃はこんな感じだったのだろうかと思った。胸がきゅんとなる可愛さだった。
「伶は灯真君たちのことは警戒しないのよね。きっと、純也の仲間だってわかるんでしょうね」
部屋の中はチキンスープとジンジャーの香りがしていた。小さな子どもを中心とした生活感であふれるリビングだった。清潔にはされていたが、所々は散らかっていて、手が回らない日常が推し測れた。
「伶を連れて買い物にいくのがやっとでさ。時々まゆりやユミちゃんが手伝いに来てくれて助かっているんだ。たいした料理じゃないけど、召し上がって。お腹空いているでしょう。伶はそのサークルの中に入れておいて」
床に降ろすと伶はイヤイヤと半泣きになったが、詩織が玩具で上手につって気を引くと機嫌をなおしておとなしくベビー・サークルの中に納まった。
詩織がつくってくれた鶏と野菜のポトフは上出来だったが、純也には少し塩分が多いような気がした。純也は優しい薄味や甘めの料理が好きなのに、と思ったが「美味しい」とだけ感想を述べた。
「ところで、話、って?」
そう切り出すと、詩織の表情は急に暗くなった。
「こんなこと、灯真君に言っていいのかわからないけど……純也、浮気しているみたいね」
どきっとした。心臓が止まるかと思った。
「……浮気?」
「そう、どうも女の人がいるみたいよね」
ふたりの関係について問い質されるのかと怯えたが、女と聞いて安堵した。でも、詩織の「女の人」という妙な強調が気になった。
「相手は、わかっているの?」
「わからないわ。でも、誰かがいるのはわかる。灯真君、何か知っているの?」
「いや、知らないよ。俺たち、忙しくて一緒にいすぎるから、最近はあえて距離をとっているんだ。お互いが私生活で何をしているのか、正直、全然わからないんだ」
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