19. 裏切り

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「ごめんね、そんなこと、聞かれたって答えられないよね」 「いや、本当に知らないんだよ。知っていたら黙っていない。許さないよ」  詩織から聞く最近の純也の行動はあきらかにおかしかった。泉川マネージャーが車で送ってくれる時は、灯真と一緒に帰っては来たものの、それから出かけていくこともあったそうだ。純也は、酒は好きでも強くなかった。深夜に飲み歩くような友達はいないはずだった。 「朝方帰ってくるとね、いい匂いがするの。女物の香水の匂い。うちのとは違うシャンプーの香りがしたこともあった」  詩織は言いながら声を詰まらせて泣き始めた。灯真は近くにあったティッシュをとってあげた。「ありがと」と小声でいいながら、詩織は(うつむ)いたまま目を抑えた。 「灯真君にも言えない、ってさ、本気なのかもしれないよね。これまでは何でも話していたんでしょ?」 「何を?」 「女の人と付き合う度に報告していたんじゃないの?」  灯真は何の話かと考えながら一度視線を外した。意味がわからなかった。 「報告? どういう意味?」 「違うの? 全部把握して許しているんじゃないの? だから、灯真君に純也が浮気しないように見張っててね、ってお願いしたのに」  灯真は焦った。詩織は、何を考えているのだろう。何を知っているのだろう。どんな答えを期待しているのだろう。黙ったまま、ふたりは見つめ合った。目を逸らせたら、負けのような気がした。  その時、伶が泣き出した。詩織は「オムツかな。ちょっとごめんね」と伶を連れて奥の部屋へと移動した。  静かになった部屋に独り残されると、カウンターの上の置時計の針がチッチと時を刻む音が聞こえた。ベビー・サークルの中に転がる猿のぬいぐるみと目が合った。「バレてんじゃん?」と笑われているような気がした。  よく考えてみれば、いくら灯真と純也が親友だといっても、この場に伶が一緒にいるといっても、純也に内緒で留守中に灯真を呼び入れる、ということは「普通」ではなかった。要するに、男として、意識されていないということだ。  しばらく詩織は戻ってこなかった。時計の針の音だけが聞こえる空間の中で、灯真はかくれんぼで息を潜めてじっとしている時のような気持ちだった。  間もなく「伶、寝たわ」と詩織が戻ってきた。  灯真は黙って詩織の出方を待った。 「純也と灯真君ってさ、すごく、特別な関係だよね」
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