24. その先の景色 ※最終話

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「やだ、もう。こんなところで恥ずかしいよ」と詩織は灯真の胸を押したが、灯真は離さなかった。 「よく……そんな気持ちになるまで、悲しみ抜いたね。尊敬するよ。誇りに思う。しーちゃんが俺の奥さんだなんて。もったいないくらいだ。ありがとう。お礼をいうのは俺のほうだ」  涙声で「ありがとう」という詩織を開放し、両肩に手を置いてた。 「わかったよ。もう赦すよ。赦して自由になろう。ただ、純也が生きていた事実を、純也を愛し愛された事実を、大切にしていこう。俺たちなら、もっと幸せになれる。伶と結が生涯誇りに思ってくれるような、幸せな家族になろう」  詩織はメイクが落ちないようにと指で目頭と目尻を抑えながら「うん」と頷いた。 「行こうか」  灯真は詩織の背中に手を回してそっと押した。詩織は灯真の肩に頭を寄せて、腕を取った。犬の散歩をしている白人の男性とすれ違った。腕を組んで歩く仲の良いカップルに見えたのだろう。目が合うと、微笑ましそうな表情で眉毛を上げて笑ってくれた。  代々木公園の深緑の下を歩いた。ジョギングする人、杖を頼りに散歩する老人、ベビーカーを押す母親たち、手を繋いで歩く高校生カップル――行きかう人がみんな幸せそうに見えた。  ベンチで寄り添う若い男女を横目に詩織は言った。 「純也はさ、死んだことで、誰もの永遠の恋人になったんだと思うの」 「誰もの永遠の恋人?」 「男も女も魅了して、どれだけの人に愛されたと思う? きっと、みんな忘れていない。みんな同じことを思っているはずよ。会いたい。もう一度、彼の歌声が聞きたい、って。飽きられて忘れられたスターじゃない。永遠にみんなの恋人のままなんだろうと思うの」 「……そうだね。そうかもしれないね」  二人にとっての純也がどんな存在であるのかはもう語りつくしていた。でも、改めて考えると、嘆き悲しんだのは自分たちだけではなかった。ファン達にとっても音楽界にとっても、この上ない損失だったのだ。  GEAKレーベルを設立以来、次世代のアーティストを発掘しては育てているが、灯真が満足するレベルの歌唱力で、容姿で、パフォーマンスで誰をも魅了するだけの才能と実力が備わった者など、一度も出会ったことはなかった。  もう、純也に勝る逸材など、この世にはいないのかもしれない。比較してはいけないのだと灯真は諦めていた。 ***  買い物を済ませて帰宅すると、子どもたちはリビングにはいなかった。二階の子ども部屋にでもいるのかと思い、灯真は階段を上がったが、ドアが開いたままの子ども部屋にも二人はいなかった。  灯真の部屋から重低音が響いていた。CD、DVD、レコードといった無数の音楽メディアと性能のいい音響設備がひしめき合う、まさに灯真の城だったが、防音壁で守られているので、何の音楽が流れているのかはわからなかった。  子どもたちには勝手に入って遊んではいけない、といつも言っていた。伶も四年生になって、すっかり好奇心旺盛になっていた。灯真は「まったく」とつぶやいてドアを開けた。 「お前たち、父さんの部屋に勝手に入るなって……」  次の瞬間、灯真は封印していた過去の世界へとタイムリープした。  壁の大型スクリーンいっぱいに色とりどりの眩しいライトを浴びて歌う純也の姿があった。何度演奏したかわからない心身に沁み込んだ楽曲。熱狂する観客――Gradersの実質最後のライブとなった横浜アリーナの映像だった。 「ねえ! これ、父さんでしょ。正樹くんも光輝くんもいる!……でも、この人は誰?」  伶は純也を指さしながら、声を弾ませて尋ねた。 「なんて歌が上手なの! いつも母さんが言っていること、全部できてるよ!」
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