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「正清、話がある」
休暇に茶道を嗜んでいた正清に、父親である博はバツが悪そうに声をかけた。
留学後、日本で百貨店の事業を大成功させた商才と手腕を持つ正清。その細身の高身長に纏うのは、紬であつらえた着物。柔らかい髪をバックに流した流行りの髪型。実の父であっても、そのオーラに近づくのをためらうほどだ。
「なんでしょうか」
正清は茶筅を持った長い指手をとめ、父親に顔を向ける。茶室に慣れぬ父は戸惑っている。咳払い一つして正清の前に座った。
「結婚について、そろそろ真剣に考えろ。白崎家のお嬢様はもう21歳だ。待たせすぎはよくないだろう」
「またその話ですか。私は仕事が楽しいのです。結婚など必要はないです」
さらっと言いのけ、正清は再び茶筅を振り出す。
「おまえの才能は認めた。だが、白崎家の令嬢と結婚すれば夏目家の位もさらに上がるのだ」
父はこんなこと言わせるなとばかりの表情だ。
「父上、爵位など欲しければ自分から奪いにいけばいいだけでございます」
「仕事で成功したとて、せいぜい男爵止まりだ。あちらは子爵家なんだぞ。なにより―…」
「私の命の恩人だ、ですか?」
「そうだ。お前を助け、今でも一途に待ってくれている。これ以上、引き延ばせば夏目家に悪い噂がたつだろう」
正清の父も時代を読む商才があり一財を成したのだが、上流階級の仲間入りをした途端、爵位コンプレックスに悩んでいた。だから、正清と子爵家令嬢との結婚を強く望んでいた。その心の内を知っていた正清。ならばそろそろ筋を通さねばと考えていた。
「では、お話を前進させに行ってきましょう」
正清はそう言うと、自分の立てた茶を父の前に差し出した。
「そうか、そうか」
と父は嬉しそうに茶を飲み干した。
正清のいう『前進』とは、この結婚を正式に断ることであった。
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