菫色のネガ

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いつかこの鳥たちを現地で見てみたい。写真集にはそう思わせる力があった。 けれど思うばかりで日々に流され、何年もが過ぎていった。 夏希は大学病院からいくつかの総合病院を経て、個人病院の看板ドクターとなっていた。その異動は、関西弁というざっくりな手がかりを追っての希望が叶ったものだった。少しでもあの人と会える確率が上がるなら、と。もう半分諦めていながらもそうせずにはいられなかった。 ところが、そこにも奴が現れた。海原昴――腹違いの弟。経理補助の募集に。 「俺、頭いいんでね。医者の免許も経理の経験と資格もある。院長は是非とも採用したいってよ」 人事については夏希にも権限があり、渋々面接した。 「私はあんたなんか雇いたくないけど」 「へえ。他の応募者で俺より適任なのいた? なら引き下がるけど」 確かに……面接した数人の中では一番優秀だった。 「何で私の行き先々に現れるわけ?」 「俺、あんたの追っかけなの。ちゃんとした医者になりたいと思ったら、俺に欠けてるものを持つ奴を側で見てるのが一番じゃん? 品性とか誇りとかさ」 白々しい上に皮肉が憎々しい。どれだけしつこく逆恨みすれば気が済むのか。今回はしっかり勉強して資格も取った上で。手が込んできた。 「俺にあんたみたいな仁徳学ばせて、良い医者増やしたいと思わない?」 口先も上手くなった。端で聞いていると本気で夏希を尊敬しているみたいな。 が、夏希の母が長年不倫で苦しんだのは、この昴が生まれて前妻がなかなか離婚しなかったから。昴だって夏希の母さえいなければ家庭崩壊することはなかったはずだ。 とても仲良く仕事出来そうな気はしない。 「ま、俺が一番の適任なのに昔の恨み辛みで不採用、てことなら、それだけの女って軽蔑するだけだけど」 こいつにだけは。 こいつなんかに軽蔑されるのだけは我慢できない。 「――採用しましょ。その上でクビにしてやる方が楽しそうだし」 口の上手くない夏希にはそう返すのがやっとだった。 「あんたは俺をクビにできないね。俺、そのくらい重宝な奴だから」 昴は自信満々の笑いと共に応えてきた。本当にいけ好かない。 でも看護師や受付の女性らは違うようだった。 「つまんない。イケメンなのに」 「ねえ。『俺は禁断の恋の方が好きだから』なんて、取り付く島もない」 そんな風に言っていて、モテるらしいと察した。 どうでもいいことだった。あの父親にしてそういう息子。同じ穴の貉ってだけだ。
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