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「ふざけんな!」
夏希よりメスから遠い昴は叫んだ。
「あんた、俺に軽蔑されていいのか? 商売道具をそんなことに使ったら、俺、あんたを心の底から力一杯軽蔑すっからな。一生だ!」
何言ってんのよ、こっちのセリフだ、ふざけんな。
誰が。誰が昴なんかに。可哀想だとか惨めだとか逆恨みとか。増してや軽蔑なんてさせない。こいつにだけは絶対――
頬から顎に流れた水滴がぼたぼた地面に落ちる。手は震え過ぎて、思うように動かすことができなかった。
そして……夏希は商売道具に手を伸ばすのを諦めた。
「行けよ!」
昴に背を突かれ、男はぎこちない足取りで歩き出した。メスを拾って汚れを払った昴の視線が夏希に向いた。夏希は呆然とそれを見返した。
夏希より優位に立ったと――さぞかしいい気味だと言わんばかりの――そう思ったのに。
全く違った。悲しそうで力強い目だった。
だから、夏希は振り返り、男の背が小さくなっていくのを見届けることができた――
もう、会わない。会っちゃいけない。
だからもう、追わない。
(完)
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