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リハビリ室に向かう途中、乗ってる車椅子の車輪が何かに引っ掛かった感覚がして、俺はあたふたと両側の車輪を交互に見た。
「手伝いますね」
背後から声をかけられて「ありがとうございます」と返事をする。
「青木さんですよね」
名前を言い当てられて振り返ったとき、思わず目を見開いた。
「私、今日から青木さんの担当になった理学療法士の柏木です」
車椅子を押してくれた人物は、空へと向かって行った彼女に瓜二つだった。
呆然と見上げてくる俺を見て、彼女は苦笑いを浮かべた。
「昨日まで休みをもらって旅行に行ってたんですけど、ノリで染めてしまって……」
ひとつに束ねた髪の内側は、見覚えのある濃いピンク色に染まっていた。
「上司にめちゃくちゃ怒られて、今日の帰りにドラストで黒染め買って帰らなきゃと思ってたところなんです」
彼女は少し困ったような顔をして笑う。
「いくらなんでも派手すぎますよね、これじゃ」
あのとき、本当は伝えたかった。
でもそれを言うと全てが台無しになるから。
だから、あのとき手を伸ばして彼女の耳を塞いだ。
「好きです。本当は、全部好きだった」
「……えっ」
俺の突拍子のない告白に、彼女は狼狽えていた。
無理もない、初対面でいきなりこんなこと言われたら戸惑うに決まってる。
「いや、すみません。急に変な事言って驚かせて」
不快な気持ちにさせたことを謝ろうと思い、早口にそう言うと彼女は首を横に振った。
「いえ、違うんです。そう言ってもらえるのを、前からずっと待っていたような気がしたから」
ありがとうございます、と言って彼女は照れたように笑った。
車椅子を押しながらリハビリ室に入ると、立ち止まった彼女が弾む声で言った。
「一歩ずつ、一緒に頑張りましょう」
俺はひとつ頷いて、車輪のハンドリムをぐっと握った。
目の前の大きな窓の外には、飛行機雲が描く一筋の道がどこまでも遠く続いていた。
END.
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