あの鐘を鳴らさなくても

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あの鐘を鳴らさなくても

 ヨットハーバーの脇にある公園のベンチは、街灯がほのかに差し、人気のない公園は頂上のライトアップに比べてうら寂しい。  怜と舜は迎えの車を待って、ベンチに腰掛けるとすぐに舜がもたれかかった。  肩の広さは変わらない。骨の重みも同じなのに、なぜだか舜が小さくなったように思えた。  ここで休ませて、と言って舜は目を閉じている。それだけで怜は不安だった。  ちょっと歩くのが長かったと思いながら、舜の鼓動と息を慌てて確認する。 「寝るなよ」  胸が詰まるのを必死で堪え、まだ大丈夫、と自分に言い聞かせる。このストレスは体が痒いどころか、眩暈がして、自分の意識も途切れそうになる。  肩を抱いた手に力が入った。 * 「寒くない?」 「大丈夫、まだ上に行くんでしょ」 「ああ、灯台のふもとまで行くだろ」  怜と舜は江ノ島神社の参道で頂上を見上げた。日も暮れて、平日の江の島は人もまばらになってきた。  12月も半ばでかなり寒い日が続いているが、舜はどうしても夜の江の島に行ってみたいという。  「いまならまだ、自力で行かれるし」。往診に来た医者もダメとは言わない。この医者は都内で舜を診ていたクリニックに勤務していたらしい。地元の地域医療に貢献するため退職して、自宅療養の患者を診て回っている。特別に(うた)ってはいなくても、患者が亡くなるまで往診で診てくれる医者はいるそうだ。  うす暗くなり、猫島ともいわれる島内でも、ほとんど猫の姿を見かけず、わずかに出会った猫に舜がいちいち反応している。 「すぐにうちにも来るじゃん」 「そういう問題じゃないから。俺は猫なら誰でも大好き」 「はいはいはいはい」 「はいは1回でいいよ」  子供のような会話をしながら、なんとか海の見える見晴らしのいいところまでやってきた。  といっても、もう海はよく見えない。向こう岸もなく、ただ暗がりが広がっている。周囲はライトアップされて賑やかだが、男ふたりではあまり長居したくない感じだ。  目の前の柵にはびっしりと錠前が付けられ、時折吹く冷たい風に、提げられた鐘の持ち手が揺れた。  「俺さ、この鐘、鳴らしたことある」  可愛らしい細工のベンチに膝を抱えて座りこんだ舜が呟く。 「この鐘を一緒に鳴らすと別れないっていうんだけど……。変わらないものなんてない。生命(いのち)も同じだよ。永遠なんてない。ひとは寿命以上には生きることが出来なくて、俺と怜さんの寿命も、怜さんの作品に比べたら……、夢みたいなもん」 「本当に、そうだな。俺個人がいなくなっても、物は残る。誰かが使う。まあ、俺の仕事のいいところかな」  こちらを向いた舜が鐘を差して、悪戯っぽく笑う。 「鳴らす?」 「舜は記憶の上書きをしたいん?」  怜は舜の前に立ち、さり気なく周囲を見回して、「いまなら、男ふたりでもいける」と付け加えた。 「いいや。変わらないものなんてないんだし」 「舜がいいなら、いい。俺、変わったからさ、舜に出逢って」  そのまま身体を屈め、怜は舜の視界を奪って唇を押し当てた。 「灯台、見に行こうぜ」  呆気に取られる舜の手を引いて、怜は歩き出す。行き違うひとの目も憚ることなく。硬く結んで。
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