シックスセンス

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 音のないリビングに嫌気がさしてテレビをつけると、流れてきたのは朝のニュース番組だった。カーテンが閉まった薄暗い部屋の中で、そのテレビだけが妙な色をした光を放ち始める。しまった、と思いすぐにリモコンに手を伸ばそうとしたが、再び静寂が訪れてしまうことの方がよほど怖いことのように思えて、僕はテレビを消すことを辞めた。  当初の予感通り、テレビの向こうでは陰鬱なニュースが流れ始めた。  この地域の山奥で、一台のバスが崖から落ちた。そんなニュースを女性キャスターは物憂げな顔で、それでいて淡々とした口調で報じていた。  僕はすぐにリモコンに手を伸ばして、チャンネルを切り替えた。そのニュースの話を聞くのはもううんざりだった。この報道がメディアに流れるようになったのは何もここ数日の話ではない。事件が起こったらしい二週間ほど前からずっと、ネットニュースでは繰り返しこの事件が取り上げられていた。入院した病院の中で、退屈を誤魔化すために携帯端末をいじっていれば、嫌でも繰り返し目に付く内容だった。  しかし、どのチャンネルに切り替えても流れるのはニュース番組ばかりで、ニュースキャスターはまるで量産されたアンドロイドみたいにみんな同じような顔をしながら同じような原稿を読んでいた。  きっと、十数人も死者を出した事件がここ最近では珍しかったからだろう。テレビもネットもこの事件を味がしなくなるまで噛み続けるつもりなのだ。はっきり言って、この街の住人である自分からした不愉快極まりなかった。なにせ、普段日の当たらないような田舎町に、汚い色をしたスポットライトが浴びせられているのだから。  仕方なく僕はテレビを消してリビングの中にその静寂を呼び戻した。今のリビングには、僕が茶碗の上に橋を置く音ですら騒音のように聞こえた。  僕は賑やかな朝というものを知らない。母親と談笑しながら朝ごはんを食べたことも、仕事に行く父親を母と一緒に送り出したこともない。知っているのはラップに包まれて冷たくなった目玉焼きや、ゴムのように味のしない白米と、泥水を濾しただけのような味噌汁だけだった。  このリビングには「おはよう」も「いただきます」も「ごちそうさまもない」もない。礼儀を知らないわけではない。けれでも、返ってこない言葉を口に出したところで虚しいだけだ。  朝食を摂り終えたら、すぐに身支度をして家を出ることにした。これ以上薄暗い部屋の中にいたら、身体中にカビが生えてしまいそうだった。  玄関の重い扉を開けるとすぐに、外の光が家の中に零れてきた。その光はまるで僕がこの家を出ることを拒んでいるようだった。  僕はそれを無視して歩みを進め、少しだけ夏が過ぎた外の世界に歩みを進めた。真っ青な空はまだどこまでも続いていて、熱が残る大地を見ているとまたしても夏が始まってしまいそうに思えた。  ランドセルを背負いながら、通学路を進んでいく。しばらく進んでいけば、同じように背中にランドセルを乗せた少年少女たちが現れ始め、彼らは僕と同じ方向を向いて進んでいる。  そんな中、水色のランドセルを背負った彼女だけが、身体をこちらに向けて僕のことを待っていた。  こちらに気が付いた由衣は言った。 「おはよう、廉人くん」  それが本日最初で最後の朝の挨拶だった。
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