シックスセンス

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「どこか、遠いところに行ってくるよ」  夏のある日、ちょうど夏休みの真っ只中で、夏の暑さがピークに達したあたりのことだった。僕は数枚の紙幣と小銭が入った財布をポケットにつめたまま、由衣に言った。  僕がその言葉を切り出したのは、地域の寂れた公園で由衣と数時間程度遊んだ後だった。確か、お天道様は僕の頭の上にいた。日が傾き始める前に、この街を出るつもりだったからだ。  由衣はとても驚いた顔をしていた。彼女もまさか、僕がこの場に別れの言葉を言いに来たとは思わなかっただろう。 「それじゃあ、さよなら」と僕は言った。それを彼女との別れの言葉にするつもりだった。  けれども、彼女は僕を引き留めた。「待って」 「それなら、私のことも連れて行ってよ」  僕はしばらく何も言えなかった。なんと答えるかを迷ったからではなかった。彼女がそう言ってくれたことがとても信じられなくて、とても嬉しかったからだ。  沈黙の後、僕は考える余地もなく彼女の言葉に頷いた。  その後、僕らは一度由衣の家に立ち寄り、彼女は家の中で身支度をして、僕はそれを家の外で待っていた。  彼女は必要最低限の荷物だけで外に出てきた。ポケットに入れた財布、それが彼女が持ってきた唯一の荷物だった。 「どこへ行くつもりなの?」と由衣は聞いた。 「どこでもいい」と僕は答えた。「遠くへ行けるならどこへでも」  それならさ、と由衣は思いついたように言ってからどこかを指さした。 「あれに乗って行こうよ」  指先にはバス停があった。  そして僕らは、バス停でバスを待って、やってきたバスに乗り込んだ。そのバスがどこへ行くかはわからなかった。ただできるだけ遠くに行って欲しい、僕はひたすらにそう思っていた。  僕の願いが届いたのか、そのバスは街に面していた山の方へ向かって行った。どうやら一つの山くらいなら超えてくれるらしい。僕はほっと息をついて隣を覗くと、そこには楽しそうな顔をした由衣が座っていた。彼女はこの逃避行を楽しんでいるのだろう。僕は直感的にそう思った。  それからバスは山道を走り始めた。何一つ、変わったことはなかった。  ないはずだった。  突如、バスのブレーキが効かなくなったのはちょうど車体が下り坂に達したときのことだった。  スピードを緩めることができなくなったバスはその下り坂をその勢いのまま突き進んだ。そして、崖の前に設置されたガードレールにぶつかったかと思うと、そのままそれを突き破って空中に浮かんだ。  僕らを含めた乗客は鉄の箱に乗ったまま、奈落の底に落ちて行った。  最後の最後まで、隣にいた由衣は僕のことをぎゅっと抱きしめていた。  そうやって彼女が、僕のクッションになってくれたのは言うまでもない。
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