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空に赤と青のグラデーションが広がり始めた。春香は地下鉄への下り階段の入口の前に立っていた。
だって正門の前にいたらーーもしかしたらあの男と鉢合わせる可能性だってある。もし私が昨日会いに行ったのがバレたら……いや、もうバレているかもしれない。
とにかく三人が同じ場に遭遇することは避けたかった。
それからしばらくして、遠目に姉の姿を捉える。それは衿子も同じだったようで、驚いたように口を開けると、手を振りながら春香の元まで走ってくる。
「どうしたの?」
「衿ちゃんを待ってたの」
「私を?」
「うん、一緒に帰りたいなって思って」
衿子は不思議そうに春香を見つめるが、すぐに笑顔になって階段を降り始めた。改札をくぐり、駅のホームに降り立つ。
隣のホームをちょうど一本の電車が走り去り、大きな音と共に二人の髪が風にさらわれた。
ホームに静けさが戻ってきた頃、先に口を開いたのは春香の方だった。
「衿ちゃんの好きな花って何?」
「私? やっぱりお母さんも好きなバラかなぁ」
「うん、私も好き。大きくて鮮やかで凛として、上品な香りがして、本当に素敵」
「春ちゃんは昔からそうよね」
「衿ちゃんは違うの?」
「そうねぇ……私はどちらかというと、小さくて色も香りもほんのりとしたものが好きかな」
うっとりと目を細める姉の姿を目の当たりにして、春香は寂しそうに俯いた。だって衿ちゃんのバラの好みなんて知らなかったから……。
「バラ園とかに行っても、やっぱり人の目を引くのは大輪だと思うけどね……。でもたくさんの人の目にはつかなくてもいいかなって。その花の良さに気付いたのが私だけだったら、それはもう運命なのかなって思うの」
その時、ホームに車両が滑り込んでくる。強い風が吹き、なびいた髪の奥の衿子の頬が赤く染まっていた。
あぁ、そっか……。衿ちゃんにとってのあの人がそういう存在なんだ。
自分だけが知っている彼の姿ーー衿ちゃんは確実にあの人に恋をしている。
春香は大きく息を吐いた。私ってばただのお邪魔虫だったんだ……もう私だけの衿ちゃんじゃないことに気付いて悲しくなった。
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