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#6
それから1時間後。
正夫は、自分の頭がすっぽり隠れるほどの深さの穴の中にいた。
「デカ長、もういいんじゃないすか」
穴の深さは2メートルはあった。サチエに指示され、正夫が掘ったものだ。
穴を掘る道具を探そうとサチエが言った時、正夫はピンと来た。
ドッキリカメラ作戦とは、落とし穴作戦だと。
しかし、穴を掘るには道具が必要だった。まさかホームセンターに買いに行けと言われるのではと思った が、サチエが倉庫の裏に錆びたスコップが落ちているのを見つけ、にこにこしながらそれを正夫に渡した。
「掘って。少なくても、2メートルね」
微笑むサチエを、なんて美しい人なんだと思った正夫の浅はかさが招いたことではあるが、2メートルの穴を掘るのは、恐ろしく重労働だった。
そんなバカな事に付き合うのは、正夫が優しい男だからだけではない。
完全に彼女に恋してしまった男の愚かさそのものだった。
恋とは時として、狂気になる。
サチエの計画はこうだ。
倉庫の入り口の土部分に穴を掘り、その上に草などをかけてカモフラージュし、倉庫の中から追い出して出て来た猫を穴の中に落とす、というなんともあくびの出そうなほど単純なものだ。
「もうそれくらいでいいわね。手を伸ばすから掴まって出て来て」
ここにきて、二つ目の誤算。
82キロある正夫は、サチエが腕を引っ張ったくらいではとても引き上げられないことを、ふたりはやっと気づく。
恋は時として、偏差値25を切る。
暗い穴の中から、正夫は地上いるサチエに話しかける。
「ハシゴとは言わないけど、長い棒、もしくはロープのようなものがでもあれば上がれると思うんですけどね」
サチエは腕組みして、じっと正夫を見下ろす。
「サチエさん、聞こえてます?」
「聞こえてるよ」
「じゃあ、探してみてくださいよ」
しゃがんでいたサチエがよっこらしょと立ち上がる。正夫は少しほっとしたが、サチエの口から思いもしない言葉が出る。
「いや、そこにいて」
「は?どういうことですか」
「うん。猫がこの穴に落ちたとするじゃない?だけど猫ってけっこう爪を引っ掛けて登れちゃうかもなのよ」
正夫は再び首を傾げる。
「だからさ、あんたそこにいて、猫が落ちて来たら登って行かないようにとっ捕まえて」
その言葉に、正夫の顔がひきつる。
「え、ええ?!ちょ、ちょっと待って。じゃあ、このままここにいて、えっと、カモフラージュの草とかで蓋する気?」
「ご名刹。賢くなったじゃない」
「サザエさん、聞いてください」
「誰がサザエだよ。怒るよ」
正夫は自分で掘った穴の壁にしがみつくようにして必死の形相で訴える。
「僕、実は閉所恐怖症なんですよ。だから、そんな無茶な事しないでくださいよ、お願いしますって」
サチエは何も言わずに、その場を立ち去った。
そして、長く伸びた雑草の生えてるいる場所まで来ると、手にしていた包丁で、ザクッ、ザクッと雑草を切り始めた。
「よかったぁ。包丁持って来て。さすが私」
自画自賛も甚だしい。
背後に開けた穴の中から、サチエの名前を呼ぶ、正夫の泣きそうな声がしていた。
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