潔癖、複雑

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潔癖、複雑

 同僚で後輩の山本ちゃんが異動して、ヒイコの正面の席には新人さんが座ることになった。  眼鏡に、マスクをした、真面目そうな青年、倉持くんである。  自分が異動したわけじゃないのに、周辺環境の変化にそわそわ緊張した一週間であった。  要はビビりなのである。    そんな四月の一週目がようやく終わる頃、課長から差し入れをいただいた。 「わあ、ふたばの豆餅や」 「ほんまや。うれしい」  課内から歓喜の声が湧き上がる。  地元民、観光客から愛されて止まない『ふたばの豆餅』である。  こしともちもち加減が最高、そして餡子の旨いこと……ヒイコも大好きな品である。  なぜか課長、近くにいたヒイコに渡してきた。  土産物を配るのは苦手なのに、ついてない。  五つずつ、素の状態でパックに入っているらしい。それが全部で三パック。  はて、どうやって配ろうかとヒイコが一時停止していると、すすすーっとパックがさらって行かれた。新人の倉持くんだ。  倉持くんは給湯室に入っていった。  案外、と言っては失礼だが、気の利く人のようだ。  感心している暇はない、我も続かねば……とヒイコも給湯室に入る。 「倉持くん、ありがとう。わたしも分けるの手伝うよ」  眼鏡をきらんと光らせて(光った気がしただけである)、 「このラップとビニ手使っていいっすか?」  と聞かれた。 「あ、うん。そうだね、ビニ手で取って、ラップに包んで配ろうか」 「はい」  抑揚なくぼそぼそっとしゃべる倉持くん。  ヒイコがビニ手をしてパックを開けようとすると…… 「あ、いいっす。自分やります」  倉持くんはさっとヒイコの手からパックをかっさらった。 「じゃあ私、ラップ広げるよ」 「あ、それもいいっす。自分やります」  そう言いながら、倉持くんは手を洗い始めた。 「あ~……、じゃあ私ラップ包むね」  少しの間があったのち、倉持くんが口を開いた。 「自分やります。自分、潔癖なんで」 「あ、うん。でも、私も手洗うし、ビニ手するし」 「いえ、いくら手袋しててもパック触った手で大福とかラップ触られたりするの無理なんで」 「えっ……」  ヒイコ、息が止まる。  無理なんで……無理なんで…………無理なんで………………  ――なんだろう、すっごい拒絶された気分……  ヒイコが言葉を失っていると、倉持くんがぼそっと言った。 「自分、元々神経質なとこあったんですけど、コロナでマジ潔癖になって」 「あ~、なるほど。そうなんだ……」 「はい。うらやましいっす、気にならない人が」  ――なんだろう。うらやましいと言われたけれど、なんだか全然嬉しくないこの気持ち。  立ち尽くすヒイコの横で、せっせと作業する倉持くん。  ――役に立てず、ごめんよ。  しかし、後々ヒイコは思うのであった。  倉持くんのうらやましいは、きっと『本気のうらやましい』だったのだろう。  だって潔癖とか神経質って大変そうだもの。  ――うん、やっぱりズボラでよかった……。ん? けど、私、ビビりだし、繊細なはずなんだけど……。  神経質もいろいろなのである。
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