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あなた何も知らないのね
優一の事件以来倫也の過保護はさらに強くなったようだ。
「罰として痕がスッキリ消えるまでおれに見せてくださいね」
「え、毎日?」
「そうです。なにか問題がありますか?」
「特にありません」
「よし、では行ってらっしゃい」
最後にネクタイをギュっと絞られて「ぐえ」となりながら倫也に見送られて会社へと向かう。
殺風景で何もない僕の家とは違って倫也の家は快適だし、毎日会えるのは嬉しいから文句はないけど。
でもいいのかな。
持たされた弁当を見ながらあまりにも自分が不甲斐ない気がして。何もかもおんぶにだっこで甘やかされすぎてる気がする。
「いいんですよ、やりたくてやってることだから」と倫也は言う。
だけどあまりにも頼りすぎな気がする。倫也がいなくなったら生きていけなくなりそう。
いつもはコンビニ食だった僕が弁当を持ってき始めたことで、ついに恋人ができたらしいと会社でも茶化されるようになってしまった。
倫也に言わせれば「虫よけです」って事らしいけど、なんか僕だけ楽をしてていいんだろうか。
そんなことをモンモンと考えていたせいか、倫也が忙しくなってきたときはチャンスだと思った。こういう時こそ僕がサポートするべき時! だなんて。考えてるときはやれそうなのに実は不器用な僕は家事が大の苦手だ。
仕事の帰りにスーパーによって何を作ろうかと店内をウロウロする。だけどレパートリーがあるわけでもなく、グルグル回って結局焼けばいいだけの肉を買うしかできない。時々魚。
倫也は手軽に作っているけどそれってすごい事なんだよな。あるもので簡単に、なんて料理の神様だ。
そうやってキッチンで悪戦苦闘していたら鍵が開く音がして、ドアが開いた。遅くなるって言ってたのにずいぶん早かったな、と時計を見た。まだ7時。
「お帰り。今ご飯作ってるけど先に風呂に入る?」
火を止めて玄関に迎えに出てギョっとする。
そこにいたのは倫也じゃなかった。全然知らない女の子。長い黒髪が印象的な和風美人でスラリと背が高い。
彼女も僕を見てビクっとした後に、ああ、と納得したように頷いた。
「噂の」
そして勝手知ったるといったように廊下を突っ切って一番奥の部屋へと向かった。
噂の、ってなんだ。というか誰。なんで鍵を持ってるの?
聞きたいことはたくさんあるのに咄嗟に言葉が出てこない。動揺しまくる僕にクスリと笑いながら彼女は言う。
「倫也じゃなくてごめんなさい。ご飯はお気遣いなく、お風呂には入りません」
僕の言ったことに対する返答だと気がついて、じわっと頬が熱くなる。
「倫也だと思ったので」
「わたしのことは気にしないで。アトリエを借りに来ただけですから」
「アトリエ」
「そう。倫也に用があるので待たせてもらいます」
当然のように彼女は部屋のドアを開けて、中へと入っていった。閉じたドアのこちらでオロオロとしている僕が馬鹿みたいだ。
前にチラリと聞いたことはあった。
学校の人にもアトリエを使わせたりしてるって。だけどこんな連絡もなく普通に入ってくる? 倫也には伝えてあるのかもしれないけど、だったら一言言ってくれれば心の準備もできたのに。
なによりまるで人形のように整ったあの綺麗な顔。全身美意識の集大成というように、まっすぐに伸びた背筋が凛として自信に満ち溢れていた。あんな子が倫也の周りにいるのかと思うと少しだけゾワっとした。
彼女は宣言通り静かにアトリエにこもっているようだった。物音一つしない。倫也の家に何度も泊めてもらっているけどアトリエには入ったことがなかった。
用事もなかったし、僕といるときに倫也は絵を描いたりしなかったから。僕が家にいるときにはいつも一緒にいて、ご飯を食べたりイチャイチャしたりそれだけで時間が過ぎていく。
でも美大の学院生っていったら絵で生きていこうとしている人ってことなんだよな。今までそういう話をしたことがないけど実際どうなんだろう。
絵描きとして生きていこうとしてるんだろうか。
倫也が帰ってきたのは9時を過ぎたくらいだった。
「疲れた~」と言いながら抱きついて僕の匂いをくんくん嗅いでいる。
「光琉さんの匂いに癒される」
「やめて、まだ風呂入ってないから」
「濃い方が好きだからそれでいいの」
なんて変態じみたセリフに興奮する僕もどうかしている。
おかえりとただいまのキスに明け暮れていたら「あのー」と声をかけられた。飛び上がるくらい驚いた。振り向くと女が立って僕たちをじっと見ている。
「盛り上がっているところ悪いんだけど倫也に相談があって」
「アンナ、なんでここに?」
倫也も珍しいくらい動揺している。慌てたように僕を後ろに隠す辺り手慣れているというか。
「公募前で焦ってるんだけどなんかうまくいかなくて。倫也ならどうするかなって相談したかったの」
「そんなの学校でいいじゃん」
「今がいいの! ね、見てよ」
グイグイと倫也の手を引いていく。
倫也は「ごめん」と片手で拝みながらアンナにつられてアトリエの方へと向かっていく。
慌てた僕は「ごはん!」と声をあげた。
「倫也もアンナさんもご飯食べない?」
人に振る舞えるような腕もないくせについ言葉が口を突いて出た。だけどアンナは「お構いなく」とツンっと言い放った。
「あなたに用はないの」
ガツーンとキツイ一言。
「こら、なんて口きくの」
だけど倫也に怒られながらもアンナは気にすることなくスルリと腕を組んだ。くっつきながら甘えたように身体をすり寄せている。
「パン買ってきたから一緒に食べよ」
「またお前はパンばっかり食べて」
「パンは正義よ」
はたから見たらいちゃついているカップルにしか見えない二人はキャッキャと騒ぎながらアトリエの中へと消えていった。
扉のこちら側に僕だけが取り残されている。
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