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アトリエの前で見張っているわけにもいかないし、手持ち無沙汰なままリビングで倫也を待った。テレビをつけてみたり雑誌に手をつけてみたけど落ち着かない。
何か聞こえてこないかと耳をそばだてても物音ひとつしなかった。
「何やってんのかなあ」
思わず独り言ちる。
締め切った部屋の中の二人を想像するだけでものすごく嫌な気分だ。
「あー疲れたー」
倫也が戻ってきたのは一時間は経ってからのことだった。首の後ろに手を当てコキリと音を鳴らしながらソファに腰かける。
「相談終わったの?」
思わずどこかに情事の痕跡がないかと視線を送ってしまう自分のいやらしさがイヤだ。そういうことをしてたわけじゃないだろうについ勘ぐってしまう。
倫也はそんな僕に気がつかず、冷めきった料理を見て喜んでいる。
「うん、相談って言うか雑談だったけど。すごいね、光琉さんが作ってくれたの?」
「冷めちゃったね。温めなおすよ」
「そのままでも大丈夫! 嬉しいなあ。光琉さんの手料理。遅くなってごめんね」
いただきます、と倫也は手を合わせて食べ始めた。すっかり食欲を無くした僕はそれをぼんやりと眺めていた。
「ごめんね、急に人が来るなんて思ってなかったでしょ。今度からは連絡してから来いって言っておいたから」
モリモリと食べながら倫也が言う。
もう来るな、ではないんだ。これからもああやって誰かが家の中に入ってくるってことで。中には倫也を好きな子もいるだろうし、チャンスを狙ってる子だっている。僕がいなかったらそういう雰囲気になることも考えられるんじゃないかな、と考えるあたり倫也を信用してないって事だ。
モヤモヤする。
倫也たちにとって当たり前の光景が僕には理解しきれない。
「光琉さん怒ってる?」
何も言わない僕に気がついたのか、倫也は心配そうに顔をのぞき込んできた。絶対意地悪な顔つきになってるから見ないでほしい。
僕は立ち上がると「帰る」と言った。
これ以上ここにいたらもっと嫌なことをいってしまいそうで。嫉妬ほど見苦しいものはない。
倫也はビックリしたように立ち上がり肩を掴んだ。
「なんで?! 帰らないでよ」
本当にわからないんだな。僕はその手を振りほどいて掛けてあったスーツに袖を通した。
「お客さんの相手してあげな」
「は? お客さんってアンナの事? あれはほっといていいんだよ、光琉さんが気にすることじゃない」
「気にするなって方が無理だよ」
僕は曖昧な笑みを浮かべてそっと倫也を押し返した。
「倫也も忙しい時なんだろ。邪魔しちゃ悪いしさ、作業に集中しなよ」
聞き分けのいい人を演じるように言葉を発する。倫也の邪魔になりたくない。わがままを言って嫌われたくない。
だったら嫌な気持ちを飲み込んで引いた方が楽だ。
「光琉さん!」
倫也は僕を強く引いた。腕の中に閉じ込めて駄々っ子のようにいやだ、と繰り返した。
「帰さない」
「倫也……」
「会いたかったんだずっと、それで一日頑張れたのに帰るって酷くない?」
僕たちの声が大きすぎたのか、アンナがリビングの入り口に立ってこちらを見ていた。
「帰るわ」
来た時と同じくらい唐突に玄関へと向かっていく。
「悪かったわね、お邪魔してしまって」
通りすがりに軽蔑したような視線を僕へと向けて。倫也はそれに気がつかないのだろう、玄関で見送って「気をつけて帰れよ」と言葉をかけている。
ドアが閉まって二人だけの時間が戻ってくる。
「アンナもいなくなったからもう帰らなくていいよね?」
当然と言わんばかりのセリフにコクリと頷いた。なんだかタイミングが色々悪い。
倫也は食べかけの食事を最後まで食べきると食器を下げ洗い始めた。それくらい僕がやると言うと「いいから座ってて」と押し返される。
「光琉さんが作ってくれたから片付けはおれ」
さっきまでの空気を忘れたかのように鼻歌交じりで茶碗を洗っている。いつも通り何も変わらない景色のように。
僕だけがモヤモヤを抱えたままクッションを抱きしめる。
倫也は洗い物を終えるとソファにやってきて隣に腰かけた。ゼロ距離でピタリとくっつき合う。
当たり前のようにキスをしかけてきて、思わずクッションで止めてしまった。顔を押しつけながら「なんで」と低く言う。
「ごめん、その気になれない」
こんな気持ちのまま抱き合いたくない。帰る直前の彼女の侮蔑の表情が頭の中にこびりついている。芸術も理解できないくせに独占欲だけは一人前なオッサンのどこがいいんだという圧。
被害妄想かもしれないけど居心地の悪さが抜けきらなかった。
「あいつのせい?」
ガードを解かれる。僕を守ってくれたクッションは遠くへ飛ばされてしまった。
ほとんど痕の残らなくなったうっ血を舐めながら倫也は声を潜めた。
「アンナに何か言われた?」
「そう、じゃ、ないけど」
嫌だと言いながら倫也に触れられた場所から熱が伝わって息が上がる。倫也は僕の身体を知り尽くしてきたし、どこをどうすれば気持ちよくなれるのかわかっているから簡単に落とされてしまう。
「じゃあ何」
「知らない人が勝手に入ってくる状況に慣れてない、だけ」
「そんなの気にしなくていいよ。あいつらが用があるのはアトリエだけだから」
そりゃそうなんだろうけど。
倫也の言っていることはわかる。部屋は余っているし、学校から近いこの場所をみんなで使っているのは昔からなんだろう。
僕が新参者なだけで、誰も気にしてなくて。
悶々としているくせに与えられる快楽には負けてしまって、結局今夜も倫也の腕の中で乱れてしまう。
「あ、ああっ、」
「光琉さん気持ちいい?」
ドアを開け放した寝室で足を広げながら倫也の欲望を受け止める。出入りする太い欲望に貫かれながら、あられもない声で喘ぐ。
もしかしたら今にも誰かが入ってくるかもしれないのに。
気がつかなかっただけで今までだって誰かに見られていたかもしれない。
なのに倫也に与えられる気持ちよさは逃したくなくて、自ら膝の後ろを掲げて深い場所を欲しがってしまう。
「んっ、気持ちいい……、倫也、おかしくなる」
「なって。おれもどうにかなりそう」
「ああっ」
高ぶりから先走る体液は自らの腹を汚している。何度か軽くイくたびにプシャリと飛ばしてはまだ先を欲しがった。
目の間に光の粒がはじけ飛んで遠く高みへと吹き飛ばされた瞬間、目の前をよぎったのはさっきの彼女の姿だった。
力なくベッドに横たわっていると倫也が飲み物を持って戻ってきた。何も纏わない若い肉体を惜しげもなく披露する。
あの体が僕を気持ちよくしてくれるけど倫也を欲しがる人はたくさんいるんだ。そんな人たちがここを出入りして倫也とひと時を過ごしていく。
過去のこととはいえその片鱗を見てしまった気がして落ち着かない。
倫也は髪を撫で頬にキスを落とした。チュっと音を立ててすぐに離れていく。
「疲れた?」
聞かれて頷く。
「今日すごかったね。何回もイってた」
誰かに見られているかもしれないという考えが僕を変にさせていた。何か物音が聞こえるたびにさらに興奮した。
こんな事を全然求めているわけじゃないのに。自分がおかしな暴走していることに怖くなる。
「すごく綺麗な子だった」
アンナを思い出しながら口にすると倫也は「ん?」と首をひねりながら「そうかなあ」と答えた。
「確かに日本人形みたいだけど。おれにしてみれば光琉さんの方が綺麗だと思うな」
「それはないだろ」
こっちは30歳手前の普通な男だし。別に面白みもなければどこにでもいるサラリーマンだ。倫也たちみたいに自分の手で何かを作り出すような腕もない。
ああ、ダメだな。卑屈になってる。
倫也は労わる様に肌を撫でた。布団をまくり上げ自分も入ってきて僕を抱きしめる。
「それでも好きなのは光琉さんだから」
それだけを信じていたらきっと幸せなんだろう。僕は頷くと倫也の胸に顔を埋めて目を閉じた。
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