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「うん、そう、だよね」
怖いけど。
でも彼女の一方的な言い分だけで倫也がどう思っているのか肝心なことを聞いていない。
もし倫也が彼女がいても僕を好きだと言ったらどうしよう。
僕は倫也が好きだ。僕だけの恋人でいて欲しい。もしそれが受け入れられなかったらその時は覚悟を決めるしかない。
もう我慢を飲み込むばかりの恋はしたくない。
腹をくくれ、と自分を戒める。
「ありがと。もう一度ちゃんと向き合ってみるよ」
「そうしろ。終わらせるのは一瞬でできるからな」
酷い体験をした優一の言葉には力があった。倫也が好きだからもう一度かけてみる。
優一は抱きしめる腕を解くと僕の顔を撫でた。
「落ち着いたか?」
「うん。話してスッキリした。ありがとね」
まさかあんなに片思いで苦しんでいた優一相手にコイバナをする日がくるなんて。あの時の僕に教えてあげたい。そんなに思い込まなくても大丈夫だって。
ちゃんといい友達になれる日が来るから。
「こんなことくらいしかできないからな。それよりお前、泣きすぎて酷い顔してるぞ」
「うそ」
「ほんと。ほら、来い、寝かしつけてやるから」
まるで子供を相手にするみたいにベッドの中で優一は僕の背中をトントンと叩いた。優一の腕の中で眠る日を夢見ていたはずなのに、叶った今は他の人が恋しい。
贅沢な話だ。
人の気持ちは移ろう。だからこそ今好きな気持ちを大切にしなければ。
倫也のことを考えていたせいか、深い眠りにつけなくて頭の中はずっと起きているような感覚だ。一瞬意識を飛ばしては我に返るを繰り返していると夜の終わりにスマホが小さな明かりを灯した。
寝ている優一を起こさないようにベッドから抜け出した。カーテンを小さく開けるとビルの隙間にほんのりと赤みがさしている。
土砂降りだった雨はいつの間にか止んでいたらしい。
ソファにすわってスマホを開くと倫也からのメッセージが届いていた。こんな早くに起きるなんて珍しい。
もしかしたら彼女と長い夜を過ごしていたのかも、と考える頭をブンブンと振った。嫌な考えは遠くに飛ばしてしまえ。
『会いに行っていいですか』
昨夜の約束通りの言葉だ。
『今家ですか?』
「ホテル」
『どこのホテルですか』
迷って、今いる場所に近い駅を伝えた。
『一人ですか』
それには答えなかった。
『今から行きます』
『光琉さんに会いたい』
『だから待っててください』
続けたメッセージが倫也の声で聞こえてくるようだ。
「うん」とだけ返して急いでシャワーを浴びに走る。
倫也に会って伝えるんだ。
好きだって。
僕だけにしてって。
お前を独り占めしたいなんて醜い独占欲を伝えなきゃ。
身支度を終えてバスルームを出ると優一も目を覚ましていた。肘で体を起こしてベッドに横たわりながら僕を見た。
「行くのか?」
「うん、ありがとう色々」
「なんもしてやれなかったけどな。がんばれ」
僕はベッドに戻ると優一を抱き寄せた。
「ううん。昨日一緒にいてくれてありがとう」
「スーツは夜中に届いていた。そこにかけてあるから」
「うん」
綺麗に洗われ皺ひとつないアイロンのかかったワイシャツに袖を通した。ピンとしたスーツを着て姿勢を正す。
「いいか、光琉。お前はかなりいい男なんだからな。自信もっていろよ」
「そういう優一こそ。大好きだよ」
「今言うセリフじゃない」
笑いながら追い出されて倫也との待ち合わせの場所へと向かった。止まっていた交通機関も今朝は通常通り運行され始めたようだ。
こんな早くだと言うのに駅を行き交う人の波はそれなりに多い。この中にいる誰かも誰かを想って苦しんだり愛おしんだりしてるんだ。
そんなことを考えながらぼんやりと人波を眺めていたら遠くから走ってくる男が見えた。そこだけがスポットライトを浴びたように光り輝いている。スマートでおしゃれな男が一心不乱に僕を目指して走ってくる。
その姿に僕も駆け出していた。
「光琉さん!」
強く抱き合った。人目があるとか公共の場所だとかすっかり頭から抜け落ち
ている。
「ごめんなさい」
倫也は僕を強く抱きしめながら謝った。
「聞きました。アンナに全部。嫌な思いをさせて……あんな雨の中追い出して。全部おれが悪い」
「なあ、教えて。彼女がいたのに僕に手を出したの? 僕はその他大勢のセフレだった?」
ドンっと人がぶつかっていく。
ここじゃ邪魔だと歩き出す。人のいる前で離す話でもないと公園へと足を向けた。
缶コーヒーを手にベンチに座った。
「そういえばさ、最初のデートも映画の後に公園にいったよね」
そうだ。あの時はまだ優一のことが好きで、でも好意を抱いてくれる倫也に心ひかれ始めていた頃だ。
「あの時はすごく緊張してて、光琉さんにどうやったら楽しんでもらえるかなってずっと考えながら過ごしてたんです。別れた後にすぐ会いたくなって。まるでガキみたいにね」
「そうなの、お前すごく余裕だったけど」
「そう見せてただけ」
あのね、と倫也は続けた。
「アンナのこと、本当にごめんなさい。はっきりしなかった俺が悪くて。彼女の事許してやって欲しいんだ」
やっぱり彼女をかばうんだ。
もしかしたら勘違いで、僕の方を好きだと言ってくれるかと思っていたけど違うんだ。
僕は「うん」とだけ返事をする。
「あの子、自分の事正妻って言ってるでしょ。あれさ、大学に入って一番最初に仲良くなったのがアンナで、彼女の才能はすごくて俺は尊敬してた。だけどおれは元々女の子にはだらしなくて、誘われれば寝るって感じだったんだけど」
「うん」
「一回だけアンナともそういう関係になって、そしたら彼女始めてだったみたいで……結婚したいって言いだしたんだ。もちろん無理だよって断ったんだけど彼女はどうしても最初の人と結婚するって。おれのまわりにいる女の子にわたしが正妻よって言い出したんだ。浮気を認めるけど結婚するのは自分だって。もちろんそれはできないから謝ったけどシちゃったものは戻らなくて。そのうちネタみたくなって、他の子に正妻さん(笑)って呼ばれるようになってさ。嘲笑ってるあだ名だよね。でも彼女はそれをまともに受け止めた」
「え、それって」
けっこうエグイ。彼女の中ではみんなに認められてるつもりで。たった一回の過ちでこんな騒ぎになるのは優一と似通っている。
「俺の方にも気まずさがあってつい放置してたんだよね。彼女もおれが何をしても特に言ってくるでもないし、ちょっとほっとこうかなって。でも光琉さんのことだけは何故か許せなかったみたいで。だからああやって家に来たんだって」
「でも彼女なんだろ?」
「だから違うんだって。その他と同じつもりだった。でもアンナはそう思ってなかった。いくら断っても聞き入れることはできなくて、ずっと結婚するんだって信じてたんだ」
それはすごく残酷すぎる。
自分が結婚するまで彼氏の遊びには目をつぶっていたって事だろ。ひたすら耐えて待ってた。勘違いだとしても。
「酷い」
「はい、ものすごく反省しています」
倫也はガバリと頭を下げた。
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