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あなただけのもの
「アンナは両親にも話をしていて、おれの海外の画廊の話も彼女の親のサポートだって後から知ったんだ。美術方面で力のある人だった。でもそれを受けるわけにはいかないからちゃんと会って謝って断ったんだ。だけどアンナだけはそれを認められなくて」
必死で自分の願う通りにいっていると信じ込んでいる。何も見ないで、何も聞かないで。彼女の願う未来は来ないのに、信じ続けている。
「当然彼女の両親は激怒して、おれの道は絶たれた。でも仕方ない。それだけの事をしてしまったんだ」
だから倫也がアトリエにこもる姿を見たことがなかったのか。一度も倫也の描いた絵を見たことがないのも納得がいく。
たった一度。
だけどそれで負った傷はアンナにとっても深すぎる。
「最悪だお前」
「わかってる。酷い事をしたんだって今ならわかる。でも、光琉さんに出会ってからそういうの全部やめたよ。あなたにだけは嫌われたくなくて」
好きです、と倫也は言う。
「過去はどうやっても消せないし、後悔してる……。光琉さんだけは失いたくない。マジで好きなんだ。こんな風になったのは初めてで、だからどうしていいかわかんなくて、体で繋げばいいのかって焦ったりもして」
だからあんなにセックスばかりしたがったのか。すぐに体に訴えて僕はそれに流されて。
肝心なことを分かり合わないままここまで来た。
「でも光琉さんが好きだから諦めたくない」
倫也は僕の手を握った。いつもは堂々としている男が震えている。
「どうしたらいい? どうしたら許してくれる? どうしたらおれを好きになってくれるの」
「そんなの」
そんなのもう遅い。
「お前の事なんかずっと前から好きだよ。最悪でもだらしなくても好きになっちゃったんだ。でも他の女と一緒なのは嫌だ。僕だけの男でいてくれなきゃ、お前なんかいらない」
「光琉さん!」
倫也はすがりつくように僕に抱きついた。背中に回した手が冷たく冷えている。らしくない、緊張でもしてるのか。
あんなに自信満々で我が道を行く倫也が僕の気持ちだけを欲して乞うている。
「光琉さんだけです。他の子は全部切った。もういらないんだ。光琉さんだけいてくれればいい」
「最初からそうしろよ」
恋なんてたったひとりいればいいじゃないか。
僕は手を伸ばすと倫也のほっぺたを思い切り引っ張った。みょーんとお餅みたいに伸びる頬。指を離すと色白の肌に指の痕が残った。
「痛い」
「僕の心はもっと痛かった。きっとアンナさんも」
「じゃあもっと引っ張っていいよ」
目を閉じた倫也のまつ毛が長くてそれに見惚れた。こんな風にじっくり顔を見たことがないけど、やっぱりすごく綺麗だ。
この男が僕だけのものになったと思うと腹の奥から嬉しさがこみあげてくる。
「好きだよ」
引っ張る代わりに頬を包み込んだ。引き寄せて口づける。走ってきて少しだけ汗ばんだ倫也の額にも、頬にも、鼻先にも口づける。
「僕だけを好きでいて」
パチリと倫也の目が開く。まっすぐに僕を見つめてふわりと笑った。まるで天使のような笑み、悪魔のくせに。
「当たり前じゃないですか」
倫也はお返しとばかりに僕の顔にもキスを降らした。
「会った瞬間からあなただけが好きですよ」
「うそつけ」
「ほんと。あの時友達とふざけて入った店であなたを見つけて、一瞬で恋に落ちた。一目ぼれだったんだ。健気な恋心をしってから尚更夢中になった。おれのことを好きになればいいのにって。優一なんかじゃなくておれの方を向いて欲しくて必死でしたよ」
だから絶対この先もずっと好きです。
しっとりとしたキスが唇に落ちる。永遠を誓うかのように。
「ところでなんでホテルに泊まってたんですか?」
帰り道、手を繋ぎながら聞かれて一瞬戸惑った。言っていいのか、嘘をついた方がいいのか。だけどいつかはバレそうだから正直に言う。
「優一と会ってたから」
「は? 待ってなにそれふざけんな」
外だと言うのに倫也は僕の襟元をガっと引っ張ると情事の痕がないかと必死に確かめている。
「キスマークつけられてないだろうな」
「そんなことしてないってば」
「わからん。っていうか、黙って二人きりで会うとか、マジで勘弁してください」
目が本気だった。
優一相手に本気で焼きもちを焼いている。そりゃあんな場面に出くわしたんだからそうなるか。
僕は襟元を正しながら「落ち着いてよ」と笑った。
「優一とはそういう関係じゃないから。いい友達なんだ」
「でもあの人はそうじゃないし、光琉さんだって」
「それも過去だよ。もう消せないけど許せない?」
「……っ、そう、言われてしまえば何も言えない」
納得いかないという表情を浮かべたまま倫也は唸っている。そんな子供じみた仕草をみて僕はクスクスと笑う。
そういえば優一の用事って何だったんだろう。
家について僕はスマホを取り出した。
「ちょっと電話していい?」
「誰に?」
「優一」
「言ってるそばからこの人は!!」
倫也は僕を抱きしめると「いいですよ」と耳元で声を出した。
「この体勢でいいなら許可します」
「かけにくいな」
「じゃあかけないで」
「じゃあ黙ってて」
僕は倫也に抱きついた格好のまま優一へとダイヤルした。数度の呼び出しですぐに出る。倫也も耳をそばだてている。
「おう。仲直りしたか?」
第一声がそれで僕は笑いながら「おかげさまで」と答えた。
背中に回された腕に力がこもる。そんな事しなくても僕は倫也のものなのに。
倫也の胸に頭を落とすとてっぺんにキスが落ちた。
「あのさ、優一の用事ってなんだったのかなって」
「ああ、それでわざわざかけてくれたのか。俺、転勤になった」
「えっ」
突然予期しないことに僕は大きな声を出してしまった。
転勤? 優一が?
「周りの目も痛いしな。いい機会だから行くことにした。しばらくいなくなるけど、お前はあいつがいるから大丈夫だろ」
「長いの?」
「どうだろうな。でも心機一転になっていい。落ち着いたら遊びに来てくれ」
「うん。さみしくなる」
つい甘えた声を出したのを聞きとがめた倫也にお尻をつねられた。めっちゃ痛い。
「光琉」と優一が僕の名前を呼ぶ。
大好きだった人。呼ばれるたびに胸が締め付けられて嬉しさと切なさと交じり合った気持ちも遠い過去。
「幸せになるんだぞ」
「優一こそ」
「おれが幸せにするから安心して行ってくださいね」
ちゃっかりと倫也が割り込んできて、一瞬のあと優一の笑い声。
「わかった、君に任せるからよろしくな」
「もちろんです。どうぞお元気で」
電話が切れると倫也は我慢できないとばかりに僕を持ち上げた。
「じゃあ光琉さん、おれがあなただけのものだって身体でもわかってくださいね」
「や、ごめん、これから仕事」
ホテルを出たのが早すぎたから一度家に戻って支度を整えようと思っただけで。
「社会人は働かなきゃいけないんだよ」
「うっそ、この展開で?」
「そう」
えーっと不満の声を上げる倫也にチュっとキスを送ってから僕は囁いた。
「そのかわり明日は休みだから今夜はゆっくり過ごそう?」
「絶対ですよ、覚悟しててくださいね」
倫也の目がマジだった。
「光琉さん愛しています」
「うん、僕も」
ああ、会社なんて行きたくない。
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