あなただけのもの

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 仕事中に倫也からメッセージが届いていた。迎えに行くからたまには外でご飯を食べようとの誘いだった。  もちろん、いいねと返事をする。  今朝触れ合ったまま中途半端に別れてしまったので早く会いたくて時計ばかり見てしまう。同僚のからかいに普通の顔で接するのも大変なくらい切羽詰まったように倫也に会いたかった。  倫也も多分同じ気持ちなんだと思うとソワソワして仕方ない。  残業に捕まらないようにソッコーで会社を出ると、いつもの場所で倫也は僕を待っていた。 「お疲れ様です」 「どうしたの、スーツなんか着て」  キッチリと着こなしたスーツ姿のかっこいいこと。元々モデルのような出で立ちの倫也がこんなキメてくるなんて卑怯だ。ドキドキが止まらなくなる。  そばを通りかかった人たちもみんな倫也に視線を送っては、キャーっと小さな悲鳴を上げる。  当の本人はかっこいい事を自覚してないのか全く気にも留めていない。慣れすぎてどうとでもないのかもしれない。  並んで歩き出すとそっと小指が倫也の指に触れた。さすがに手を繋げないけどこれくらいは、という程度に。 「こら」 「いいでしょ、こんなの誰も見てない」  ほんとはキスだってしたいのに、という囁きに体温が一瞬で上がる。 「お店勝手に決めたけどいいですか?」 「いいよ、っていうかごめんな任せっぱなしで」  行けると連絡したまま後は忙しくて放置してしまった。 「全然。光琉さんが好きそうなお店は前からリサーチしてたんで」 「そうなんだ」 「そうですよ、いつだって喜ばせたくて仕方ない。意外と純情でしょ」  自分で言うか。 「純情かどうかはわかんないけど嬉しいよ」 「気にいるといいんですけど」  そう言って連れて行ったもらったのはホテルの最上階にあるイタリアンだった。静かな音楽が流れ大きな窓からは綺麗な夜景が見えた。  ゆったりとした空間にテーブルが適度な距離をとって離れている。席に着くとテーブルの上のキャンドルがユラユラと揺れているのが窓に映っていてとても綺麗だ。  こんなお店ではビールって気分でもなくて二人でシャンパンを頼んだ。 「乾杯」とグラスをかかげると小さな泡が気持ちよさそうに浮かんでいく。 「美味しい」  口当たりも柔らかく舌先に繊細な泡が弾けて消えていく。  適当にシェアして食べようと料理を選ぶと、倫也がこちらをじっと見ているのに気づいた。 「何、どうかした?」 「いえ、ちゃんとした恋人どうしになったんだよなって改めて」  手を伸ばしてきて、僕の指先を取る。 「今日は一日光琉さんに逢いたくてどうにかなりそうでした」  それは僕も一緒だ。  盛り上がった気持ちを中断させて過ごした一日の長かったこと。気を紛らわそうと仕事に集中していたらいつもより捗って、たまっていた業務も片付けることができた。  よく終業まで耐えたと自分をほめたいくらいだ。  料理が運ばれてくると何事もなかったかのように手を離した。指先に灯った熱を奪われたようで少しがっかりする。  前菜をそれぞれのお皿に取り分けながら「あのね」と倫也は言った。 「実は今日就職が決まったんです」 「えっ、だからスーツ?」 「そうです。今日正式に契約してきました」  はい、と僕の前にお皿を置きながら倫也が話し始めた。 「話した通りアンナとの事で絵の道は絶たれたと思っていたんです。でも拾う神様もいたみたいで。昔からおれの絵を気に入ってくれていた画廊の人がウチで働かないかって声をかけてくれたんです。そこは絵画教室も開いていて、そこで絵を教えながらギャラリーで絵の展示もしてくれるって」 「すごいじゃないか」 「ですよね。ありがたい話なので受けることにしました」    聞けば大きくはないけど話題になるような作品をを集めていることで有名なギャラリーだそうだ。経営者の人柄も良く後に続く作家も育てているような人らしかった。 「何度かお世話になったこともあってお互い知っているし、家から近いのもいいなって」 「そうだったのか、よかったな」  僕は心からホッとして「よかった」と繰り返した。  アンナに対して酷いことをしたのは責められるべきだけど、そこに親が出てきて仕事を斡旋したり取り消したりするのはやりすぎだ。   だから正当な経由で仕事に繋がったのは倫也の才能が認められたって事で。 「じゃあ今日はお祝いだな」 「ありがとうございます」  もう一度乾杯をしてから料理に口をつけた。  ホタテは身が厚くてプリっとした口当たりとマリネの酸味が絶妙に合っている。オリーブを口に含んでいると倫也はフォークを置いて、改まったように神妙な顔をした。 「それと、本題があります」 「改まって何? なんか怖いんだけど」 「怖いのはこっちですけど」  と、ポケットから小さな平べったい箱を取り出した。綺麗にラッピングされリボンも結ばれている。  それを僕の方に差し出すと、言った。 「あの家で一緒に暮らしませんか」  箱を開ければキーケースが入っていて、その中に一個だけ鍵がついていた。 「最初はマンションもいいかなって思って探したんだけど、やっぱりあの家から離れたくなくて……今日鍵を全部付け替えました。だからもう誰も入ってこない」 「倫也」  言いかけるのを防ぐように倫也はかぶせて言葉を続けた。 「実はあの家、祖父母の家だったんです。古いから壊す話も出たんだけど、おれはじいちゃんっ子であの家が大好きだったからリフォームして譲り受けました。だからできれば手離したくなくて、でも光琉さんが嫌ならどこでもいいんです。一緒に暮らしたい」  らしくないくらい自信なさげに瞳が揺れている。  僕はキーケースを自分のポケットにしまうとなるべく安心させれるような笑みを浮かべて答えた。 「嬉しい。いいの、そんな大事な家に僕が住んで」  僕たちはまだ互いの事をそんなに知らない。  だからあの家がそんなに大事なものだってことも知らなかった。居心地がよくて優しい空気に包まれたあの家。  それは倫也の祖父母が大切に暮らしていて、倫也が大事に育てられてきた場所だからなんだろう。幼い頃の倫也を思い描く。きっと可愛くて目にいれても痛くないほど愛されていたんだろう。  倫也はガバリと立ち上がりそうな勢いで「いいです!」と声をあげた。 「光琉さんが許してくれるなら」 「許すも何もお前の家じゃん。僕あまり家事とかできないけど、いい?」 「そんなのおれがやります」  そういう倫也があまりにもマジだったから慌てて言い足した。この勢いならおんぶにだっこ生活になってしまう。一緒に暮らすならそんなのは嫌だ。 「うそ。ぼくに家事教えてくれる? そういうのは共同生活なんだしちゃんとやりたい」 「手取り足取り教えますよ」 「だったらいいよ、あの、よろしくね」  手を差し出すと倫也はギュっと握りしめ何度も揺すった。 「まじか、よかった、嬉しい」  ホッとしたように肩の力を抜いた倫也を見て、今日一日緊張していたのかと思うとおかしくなる。  余裕ありそうに見せてけっこう不器用な奴なんだよな。だけどひとつだけ。 「でも絶対他の人入れないでね、約束して」  もうああやって誰かが我が物顔でいるのはコリゴリだ。言うと倫也は真剣な顔で頷いた。 「絶対、約束します」
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