私だけを映して

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 彼氏の浮気現場を目撃した。  好きだった、本当に好きだった。好きだったから勇気を出して告白した。照れながらも受け入れてくれたあの時の彼の顔を私は今でも鮮明に覚えている。  白昼堂々と見知らぬ女と手を繋いで歩いているところに遭遇するとは、夢にも思わなかった。頭一つ小さい女を愛おしそうに見つめている。デート以外の何でもない。  彼には妹も姉もいない。親戚だ、いとこだ、と言い訳されてもそれは法的に結婚できる相手でしょう。それに、妹だろうが姉だろうが親戚だろうが、女と手を繋いで歩く理由は一つしかない。  二人が歩いているこの地は私の生活圏内ではない。小学生の頃仲良くしていた友人に会いに来たのだ。数年ぶりに連絡をとり、ランチを共にした帰りだった。  決して、浮気現場に遭遇するためではない。  大人しい性格ではない私は、この決定的瞬間を逃すはずなく、歯を食いしばり大股で二人の背後から声をかける。  「ねぇ、ちょっと」  左右に首を振り、誰も近くにいないことを確認した二人は振り返る。  彼と目が合うと、顔色を変えて目を見開いていた。  どうしてお前がここに、とでも言いたそうな表情で、すぐに目を泳がし始めた。  「どういうことなの、これ」  好きだった。愛していた。今でも愛している。  今なら目から血でも流れるかもしれない。それほどまでに悔しく、悲しく、憤る。  手を繋ぐことすら恥ずかしくて、初めて繋いだのは付き合ってから二週間も経過した時だった。誕生日プレゼントで貰ったイヤリングは宝物にして机の上に飾ってある。耳に付けたら失くしそうで、特別な日にしかつけることはなかった。もしかしてそれが嫌だったのか。毎日付けるべきだったのか。  「浮気?絶対に許さない」  彼が誕生日の時は、自分が貰った物の数倍の額で返したし、普段からデートで奢ることもあった。まだ大学生で、アルバイトではあまり稼ぐことはできないけれど、彼のために毎日のように働いた。親から小遣いをもらっていたが、彼に使う金は自分が稼いだ金を使いたかった。  彼の代わりに大学の課題をこなしたし、論文だって書いてあげた。  彼の就職先は経営者である私の親に頼み込んで彼に内定をあげた。  全部全部、彼のために尽くしてきた。  そんな私を嘲笑うかのように隣の女はすました顔で「気分最悪。帰るわ」と言ってこの場から離れて行った。  女にも腹が立つが、裏切ったこの男に一層腹が立つ。  「説明してよ」  睨みつけると、彼は何も言うことなく逃げ出した。  この期に及んで逃げ出すとは思わなかったので、慌てて後を追いかける。  男の逃げ足に勝てるはずもなく、距離はどんどん開いていき、ついには姿が見えなくなった。  私は立ち止まり、方向を変える。  どうせ友達の元へ行ったのだろう。浮気がばれた、どうしよう。そんな相談でもするのだ。  私は歩いて彼の家に向かった。一人暮らしの彼は合鍵を渡してくれることがなかった。  彼が住むアパートの階段を上り、部屋の前に立って鞄から針金を出す。  合鍵をくれなかったので、今までは彼が留守の間、何度も勝手に侵入していた。女の影はなかった。家に連れ込むことはしなかったのだろう。それは私が毎週のように入り浸っていたからだ。連れ込むと証拠が残り、それを完全に隠滅する自信はなかったのだろう。可愛い男だ。そんな可愛いところも好きだった。でも、浮気は許せない。絶対に。  カチャカチャと針金を鍵穴に入れて弄ると、数分後には開錠した。住人が通りかからなくてよかった。  部屋へ侵入し、明かりを点けずに彼の帰りを待つ。  随分長い間息を潜めていた。  真っ暗闇の中、スマホで時間を確認すると日付が変わっていた。  そこから二時間が経過すると、漸く鍵が開く音がした。彼が帰って来た。  こんなに長い間彼女を待たせるなんて、どういうことだ。  飲んできたのか、足音が一定ではない。  彼が水を飲むため電気をつけてコップを取り出したところを見計らい、持っていたものを彼に勢いよく刺した。  「ぐああっ」  彼が使っていた包丁は、私が毎週研いでいた。  美味しい手料理を味わってほしくて、家庭的なところを見てもらいたくて、自分の家にある包丁よりも大切に大切に扱っていた。  「お、お、おま」  「お帰り、遅かったね」  血が滲む腹を押さえて床に倒れ込んだ。  「私を裏切るからよ。好きって言ったのに、あれだけ愛しているって言ったのに、どうして他の女と浮気なんかするの。あの女、私より綺麗ね、でも私の方が貴方のことを好きだと思う。火遊びだとしても許さない。私だけでいいのに、私だけ傍に置いておけばいいのに、私以外と楽しそうに手なんて繋いで、許さない、絶対に許さない」  わなわなと震えながらまくしたてるが、彼は痛みに顔を歪めるばかりだ。  「なんとか言ってみなさいよ。言い訳でもしてみさないよ。言えるものならね。ずっと一緒だねって言ったのに、ずっと一番だからねって、ずっと愛しているって、ずっとずっとずっとずっと、ずっと!」  片足をどんと床に叩きつけ、怒りを露わにする。  「このまま死んだら、一生私のものになる?私の顔を最期に見て、私のことを考えながら死ぬの?それって凄く嬉しい」 「ふ、ふ、ふざ」 「浮気なんて許さない、許さないから。大丈夫、私が見ていてあげる。最期に見る顔が私で良かったね」  刺さったままの包丁を抜き、馬乗りになってぶすぶすと他の箇所にも刺していく。  服は赤く染まり、刺す度にうめき声がする。初めて聞いた、こんな彼の声。  抵抗することすら辛いのか、力の入らない手で私の身体を退けようとしている。  「ねぇ、見てよ私を」  両目を瞑り、苦痛な表情をする彼の瞼を左手でこじ開ける。  「瞼が邪魔だなぁ」  そう思い、包丁で目玉を抉り出し、彼の顔の横に置く。  今まで以上の叫び声を上げる彼。こんな大声も出せるんだ、男らしくて素敵。  「大丈夫だよ、私はここにいるよ」  まるで聖母のように優しく語りかけるも、皮膚に包丁を思いきり差し込んでいく。  「いい夢見ようね」  その言葉に従うように、彼は徐々に動かなくなっていった。  完全に動かなくなった彼を暫く眺め、目玉を手に乗せる。  身体は動かなくなったけれど、きっと彼は今も私を見ている。  彼の目がこっちを見ている。  目玉を二つ持ち、部屋を出た。  家に飾ろう。そうすれば、朝も夜も彼の目には私が映る。  もうすぐ朝日が昇る。一緒に朝日が昇る瞬間を見よう。いつだったか、一緒に見たよね。今日で二回目だ。  自然と流れ出た涙は頬を伝い、乾ききっているアスファルトに吸い込まれた。
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