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優雅な一日……とはほど遠い
陽が落ちる時刻を報せる鐘の音が、四方に響き渡ると、ヴァンさんの診療所の灯りがともる。
最新の充電LEDはヴァンさんのお気に入りの一つで、ローコスト運営は診療所にとっては生き残る最善の道である。なにせこのところ経費ばかりがかさみ、借金も増え続けていた。
このまま推移すれば、診療所閉鎖は時間の問題だった。
「……今日も来ませんね」
精密科学技師のチャーリーがヴァンさんにグチった。決まりきったことを口にするのはチャーリー青年の悪い癖で、ここ数か月というもの開院前の日々の挨拶フレーズにすらなっていた。
「そうね……もはやあたしのような旧来型の修復技術は、それこそ時代遅れなのかも……」
淡々とヴァンさんは答える。
この彼女のことばも、いまでは決まり文句のようになっている。
とはいえ。
地上における最後のヴァンパイアである彼女の持てるスキルは、決して色褪せることはなく、高額な先進AI医療技術をもってしても治癒できない傷病があって、そんなときにこそヴァンさんの腕の見せ所なのだ。
みんながそのことに気づく日がきっとやってくる……と、ずっとチャーリーはそうおもってきた。
だから経営破綻を目前にしても、チャーリーはヴァンさんのもとから離れないのだ。
「大丈夫ですってば。ヴァンさんの特殊能力をもっともっとたくさんの人に知ってもらえば、きっと患者さんがそれこそ行列をつくって……」
「そんな気休めなんか言わなくていいわ。ね、自分のスキルの無さは自分が一番よく知ってるし。もう時代とは合わなくなってしまったのよ」
「そ、そんな……スキルがないなんて……ほら、大熊に噛まれて右腕をなくした猟師の腕を見事に蘇生させたじゃないですか!」
「そんな昔のこと、よく覚えていたわね。その時代はね、まだ単純だったの。だから、あたしでもなんとかやれた……」
「で、でも……」
「いまは、AIが幅を効かせているでしょ? 医療用ナノロボットが、あたしでも驚くほどの修復技術を駆使して活躍してンだから、こんな旧い診療所をあてにする人なんていないのは当然かも」
「どうして、そんなに弱気なんですか! ヴァンさんらしくもない、世の中には大金がかかる高度医療を受けられない人もまだまだたくさんいます」
「みなまで言わなくても、いいよ。キミが言いたいことはよくわかってるし。でもね、この診療所がつぶれてしまったら、それも意味ないし、ね」
ふたりのやりとりは深刻なのに、ヴァンさんの口調はそれほど気鬱げではない。むしろ淡々としていて、来月も家賃が支払えないなら立ち退かなくてはならないこともあって、すでに覚悟を決めているようにチャーリーにはみえた。
……このことは半年前に家賃を滞納しはじめてから、ある程度は想定できたことだ。
問題は、一時的にせよ診療所を閉鎖したとしても、これからヴァンさんがどうしたいとおもっているのか、そのことをチャーリーは確認したかったのだ。
だから、わざわざ10年も前の話を持ち出したのだった。熊に右腕を喰いちぎられたのはオリヴィエの祖父で、チャーリーが中学一年の頃だった。一級上のオリヴィエに相談されたとき、
『ならヴァンさんしかいないよ、大丈夫、ぼくのママもね、落雷に打たれて半月意識がなくなっていたけど、ヴァンさんが額に手をあてて呪文を唱えただけで、元にもどったんだ』
と、丘の上のこの診療所を紹介してあげたのだ。
『知ってる……診療所のことは。あの女のひと……魔女だったの?』
急にオリヴィエが不安げな表情のままチャーリーを睨みつけたはずである。
『魔女なんかじゃないよ。ほら、最後のヴァンさん……いま地上に残っているヴァンパイアさんだよ』
『でも治療代は高いんでしょ? 恥ずかしいけど、うちには払うお金はないし』
『ううん、催促なしの後払いでいいみたいだから、とにかくダメもとで看てもらえば?』
『ダメもとって言われても。あの女のひと、落ちこぼれ先生だって、みんな噂してるよ』
『そんなことないよ。ぼくが保証するよ、ね、急がなくっちや、治せるものもなおらなくなるよ』
『じゃ、おじいちゃんに相談してみる』
……結果的にチャーリーのそのアドバイスが功を奏して以来、初恋のひと、オリヴィエと付き合うことができたのだ。けれど、いまは、オリヴィエは人妻である……。
「あのぅヴァンさん、実は……オリヴィエが……」
いきなりチャーリーが切り出した。
「……連絡してくれたんです。ギミヤ王国で政変が起こって、封印が解かれてしまったと……」
「封印? って? まさか?」
「そ、そのまさかなんです。」
「千五百年にわたって保管されてきたあの壺が割れたってこと?」
「壺? 壺って一体なんのことですか? ええと……壺かどうかはよく知らないですけど、十二体の魔物が放出され、いま、王国は壊滅状態だそうなんです。幼い王女を助けながらオリヴィエはアタラクシア山脈へ逃げ落ちたようなんですが……」
「あ、キミは、あたしにキミの元カノを助けに行けと頼んでいるのかしら?」
ぼそりとヴァンさんはつぶやく。意識せずに思念がぽろりと口から洩れ出てしまったようだった。
「あら、あたしったら」
頬を朱らめたヴァンさんは、もう一度、深く息を吐いた。あの壺に魔物たちを封じ込めた〈紅の十字軍〉の一人が自分だということをチャーリーは知らないのだと気づいたからだ。千四百八十七年前の出来事を、現代人が知るはずもなかった。
「あ、そうだったわ。たしかあの紅の十字軍に参加したあたしたち七名のうち……」
……二名は、治癒スキルに関わる達人であったはずである。ヴァンさんがいま持つ能力の基礎の基礎を学んだのもその頃であった。
けれどかつての仲間がみんな不老不死であるわけではない。再会できる可能性は極めて低いだろう。
「……でも、ひょっとしたら」
会ってスキルを一から学び直せる絶好の機会かもしれないとヴァンさんはおもった。また、放出された魔物のなかには、それに近似するスキルを有していたものもいたはずで、倒せばその秘技をわが身に転移させることができるのでは? とそんなアイデアがヴァンさんの頭裡に浮んだ。
「この機会に……」
ヴァンさんはチャーリーの思惑に応えるようにはっきりとした語調でいった。
「……も一度、自信を取り戻すチャンスかもしれないわね」
「そ、それじゃあ?!」
「でもキミは残ったほうがいいかも」
「ええっ……? そ、そんな!」
「魔物にやられたらどうするの? あたし……長い間、使わなかった攻撃スキルも、かなり落ちているはずだし、自分を護るのに精一杯で、キミを構ってあげるヒマも技もないかもしんないし」
……それは事実だった。
かつての戦士としての気概も技の切れも失せていて当然だったろう。いわば熟練者からみれば、いまのヴァンさんは赤子同然なのだ。
「ううん、自分の身ぐらいなんとか守れるよ。ヴァンさんは忘れてしまっているかもしれませんが、ほら、ぼくギミヤ王国やテイタスクォー共和国に短期間留学していた話をしたことがあるでしょう?」
「そうだったかしら」
「そのときに棒縄術を学びましたよ。その頃のクラスメイトたちにも声をかけて仲間を募ることもできます……第一、土地勘なら、ヴァンさんよりぼくのほうが……」
最後まで言わさず、
「そうかも」
と、ヴァンさんはニコリと微笑んでみせた。このときチャーリーは自分にとってもなにか単調な日常を脱する新たな旅立ちになることを確信した。同時にそれは、前途多難なる未知の冒険のはじまりでもあった……。
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