この声を失う前に

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「可愛らしい方ですね。有名なインスタグラマーさんですか?」 梓が訊ねると、「私の娘です」と誠は寂しそうに言った。しかし、入院前に患者が家族の連絡先などを書く紙には、誠は何も書いていなかった。 「私は、仕事ばかりで家庭を大事にできませんでした。休日も家族三人で出掛けたことは一度もなかった。娘が高校生になった時、妻から離婚届を突き付けられて、こう言われたんです。「娘の一ヶ月検診の時、不整脈かもしれないと医者から言われたんだよって私が話したこと、覚えてますか?」って。……私は覚えていなかった」 誠は娘が投稿した写真を見ながら、拳を握り締める。 「私は娘のことを、何も知りませんでした。娘の好きな食べ物や、得意な教科、どんな友達がいるのか、何も知りませんでした。娘が中学の時にバドミントン部に入部していたことも、クラスメートとトラブルになってしばらく学校を休んでいたことがあったことも、何も知りませんでした。妻が一生懸命娘の話をしてくれましたが、私はそれを聞こうとしなかった。……夫としても、父親としても、私は最低な人間です。癌になってしまったのは、きっと天罰なんでしょう」 部屋に重い空気が流れる。梓はただ「お辛いことを話させてしまって、すみません」と謝ることしかできない。しかし、誠はニコリと梓に笑いかける。
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