この声を失う前に

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「気にしないでください。辛いのは私じゃなくて、元妻と娘ですから。私はこうしてInstagramで娘の元気で幸せそうな姿を見られたら、それでいいんです」 誠は、娘とは離婚をしてから一度も会っていないようだ。梓は「まぁ、そうだよな」と心の中で呟く。どんなに誠が反省したとしても、話を聞いてもらえなかった十年以上の時間の壁は大きく、娘にとっては誠は「父親」ではなく「たまに家に帰って来るおじさん」という認識だったかもしれない。 (私にできることは、佐野さんが手術を受けて無事に退院するまでサポートすることだよね) 暗い話のせいで沈んでしまった気持ちを何とか元に戻そうと、梓は笑顔を作り、明るい声を心がけながら病衣などを手渡した。 「佐野さん、麻酔科の先生とお話があるので、一階の外来にある麻酔科に降りてもらってもいいですか?」 誠が入院して二日目、梓がそう声をかけると小説を読んでいた誠は「わかりました」と言い、マスクをつけて部屋を出て行く。手のかからない患者の受け持ちになれたことに梓はホッとしつつ、いつも通りに仕事をしていた。 気が付けば夕方の五時だ。日勤の看護師の終業時間である。梓は記録を書いている手を止め、受け持ちの患者の病室を一つずつ回り、挨拶をしていった。
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