大人になれない僕らは

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大人になれない僕らは

「我を通すだけじゃ、社会人は務まらないよ」  目の前でパソコンに入力している社員の男は、小馬鹿にしたような目で俺を見た。店長の野村を含め、俺のバイト先の店は社員が4人いる。その中で、唯一の独身がこの男だ。小柄で、昔ながらの銀縁眼鏡をかけた、中年オタクのような風貌の人だ。俺の何が気に食わないのか知らないが、入った時から強く当たられることが多い。  俺の前を通るたびに、露骨に疲れた顔をし、業務で分からないことがあり尋ねると、「そんなことも分からないのか?」と見下したような態度をとる。当初は俺もイラついていたが、今では冷めた目でこの人を見るようになった。今、俺は事務所で、この男にストレス発散も兼ねているのであろう説教を受けている。 「ここ最近の寺城君は、意欲がないように見えるんだよね」 「いや……そういうつもりは」  別に遅刻や欠勤をしたことは、まだ一度もないし、隠れてさぼったりもしていない。ただ、時折考えに耽って手が止まることもあるが、俺だけに限ったことではないだろう。 「いや、僕みたいに長年やってると、バイトの子の様子見ただけで分かるんよ。この子は一生懸命やってるな。この子は手抜いてるなって」 「はあ……」 「寺城君もバイトとはいえ、プロ(・・)としての自覚を持ったほうがいいよ?君、ほとんど話さないけど、もっと積極的にコミュニケーション取ってさ」  最低時給でプロ意識なんて持てるわけないだろうが。「バイトもプロ」とはよく聞くが、そんなことは会社側のエゴに過ぎない。高い報酬が得られてこそ、仕事においても最高のパフォーマンスが発揮でき、プロとしての自覚が持てるものだ。社会保険すら満足にかけてもらえないバイト身分では、無理な話だ。それに人の意欲や、やる気なんて見ただけで分かるはずがない。それが分かれば、面接官も苦労しないだろう。 「すみません。気をつけます」  目の前で得意げな顔をしている社員に頭を下げつつ、内心は冷ややかな目で見る。この人とは仲良くなれないし、なりたくもない。  苛立ちをぶつけるように、事務所のドアを強めに閉めて、売り場に戻った。もう十分もすれば、閉店までレジに立たなくてはいけない。レジに入ると、トイレに行くタイミングがなかなかないので、先に用を足しておこう。  バイト前に眠気覚ましのために飲んだエナジードリンクが出ているのか、薄黄色の尿が勢いよく便器に注がれる。小便のついでに、ペッと便器に唾を吐いた。股間を揺らしながら、尿を出し切っていると、ポケットが揺れた。便器を流し、手を洗わずにスマホを取り出した。 『こんばんは。中条です。ご飯いつ行きましょうか?』 メッセージと一緒に、「?」マークの付いた柴犬のスタンプも送ってくれている。俺が送ろうとしていた内容のラインを、逆に中条から送られてしまった。忘れていたのではなく、どこの店がいいだろうかと決めかねていたので、つい後回しにしてしまった。返信しようかと思ったが、スマホの時計がレジの交代時間目前を示していた。 『お疲れ様です。ごめんなさい、今仕事中なんで、終わり次第連絡します』  唯一購入していたスライムのスタンプも送信して、スマホをポケットに入れた。中条のライン1つで、このバイトの意心地の悪さも軽減されたような気がする。何より、中条が食事の約束を覚えていてくれたことが嬉しかった。  来週には関西も梅雨入りすると、ニュースで言っていた。バイト終わり、コンビニに寄って缶コーヒーを買った。外に設置されている灰皿の上に缶を置いて、アメリカンスピリットに火を点けた。煙を吐きながら、スマホを取り出し、改めて中条のラインを開いた。バイト中にメッセージを送ってから、2時間半ほど経っている。 『今さっき終わりました。来週あたり、中条さんの都合はどうですか?』  送信を終えると、置いてあった缶コーヒーを勢いよく振り、プルタブを空けた。  アメスピを吸いながら、缶コーヒーを飲んでいるとスマホが震えた。 『来週は水曜と土曜が休みです。寺城さんは?』  すぐさまカレンダーを開いて、来週の水曜日と土曜日を確認した。土曜日はバイトになっていたが、水曜日は空白だった。思わずガッツポーズしたくなる。 『水曜日なら空いてます。水曜日に行きましょうか?』  缶コーヒーを一気に飲み干して、横に設置されてあるゴミ箱に入れた。アメスピをすり潰して、灰皿に落とす。もう一本コーヒーを買おうと、コンビニ店内に入ろうとしたら、またスマホが震えた。 『決まりですね。じゃあ、また来週の水曜日にお会いしましょう』  今度は目を潤ませたテディベアのスタンプが、一緒に送られてきた。詳しい時間や、集合場所は折り入って連絡する旨を送信し、アルバムを開いて写真を表示した。  先日、カフェで中条のスマホで撮った写真。ピースをしながら、白い歯を見せて笑う中条と、ぎこちなく頬だけで笑い、少し曲がったピースサインをしている俺が写っている。  車で信号待ちの時間や、バイト中暇な時など、よくこの写真を見ている。写真の中条は、目を垂らして無邪気に笑っている。  俺は中条のこの顔が好きだ。
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