成子、東京へ

2/4
32人が本棚に入れています
本棚に追加
/164ページ
 なるこお、と夫から名前を呼ばれた。成子は、ハイ、とすぐに返事をした。さっきまでレバーを食べていたはずなのに椅子に座っていなかった。どこか別の部屋に行ったようだ。再び夫が彼女の名前を呼んだ。  声がした方に向かって走ると、彼は浴室の中にいた。浴室のオレンジ色の照明が彼の色白で毛穴一つ目立たない綺麗な頬と、黒黴まみれのタイル張りの床を照らしていた。彼は成子が来たことが分かると、 「佳苗に逃げられた」  と吐き捨てるように言った。彼が怒っていることがすぐに分かった。一気に緊張が走った。  佳苗は成子と夫の間に生まれた娘だ。七歳で本来なら、小学一年生として学校に通っている年頃だ。だが、佳苗は二十四時間、浴室の中に閉じ込められていた。隙を見て逃げ出したようだ。隠していた錆びた鉄板のネジが外れており、窓が露わになって開いていた。どうやってネジを外したのか。 「ごめんなさい。私が監視しておかなかったばかりに。私のせいでございます」  黴臭いタイルの床に額を付け、土下座して謝った。しばらくすると、脳天に鈍い痛みが走った。痛い、と言って思わず顔を上げた。  夫がシャワーを握っていた。シャワーヘッドで殴られたようだ。埴輪のような目をしている。彼が成子に対して失望していることが分かる。申し訳ない気持ちになる。あんなに優しい彼を傷付けてしまった自分が情けない。  彼は正座をしている成子を見下ろして指笛を吹いた。体中に力が籠る。今からしばらくの間、痛い目に遭うからだ。痛みに対して声を出さずに耐え忍ばなければいけない。  口笛を吹いた直後、廊下から急いでやって来る者の足音が聞こえた。浴室にサヤカとユウコが入って来た。夫が成子の顔を指差して声高らかに、 「この女は罪深き者です。僕が言い付けたことが何一つできない不具者です。こういう人間の脳は電気を流してあげる必要があるでしょう。では、ユウコさん、お願いします」
/164ページ

最初のコメントを投稿しよう!