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結局、逃げられなさそうだ。足を縛る布を取ってくれないし、両脇に男が一人ずつ立ったからだ。一人は赤ん坊に似た幼い顔立ちの男で、もう一人は東南アジア系の濃い顔だった。
「では明美さん」
と、成子に言われると、明美は浩司の方に近付いて行った。彼女の手にはスタンガンが握られていた。彼女の目は版画みたいに空洞だった。
浩司は口にも布を巻かれているらしく声が出せない。呻き声が聞こえる。学生時代に野球部に入っていたような浅黒くてガタイの良い男だ。彼はまさか自分が今まで暴力を振るっていた妻に暴力を振るわれるとは思っていなかったのだろう。恐怖がこちらにまで伝播して来た。
バチッという破裂音に近い音が響いた。浩司の呻き声は大きくなった。岩のようなゴツゴツした質感の恐怖が伝わって来て由樹も痛かった。
「明美さんはいつもこれで殴られていたんでしょ」
と、成子が何か細長いものを明美に渡した。目を凝らして見るとゴルフクラブだった。ドライバーのようでヘッドの部分に厚みがあった。
「さ、思う存分やっちゃって」
明美はゴルフクラブを野球のバッドみたいに構えてから、勢い良く振って浩司の肉厚な鼻を打った。
「ンッゴー、ンッゴー」
浩司はあまりの痛みに、両腕を縛られながらジタバタした。爪先が地面から離れたり着いたりした。
「もっと」
成子が明美に命令する。明美は再び浩司の顔面をゴルフクラブで打った。クルミの殻が割れる音に似た音が響く。
「明美さん。その調子ですよ。貴方が受けて来た苦痛はこれくらいのものですか。違いますよね。今旦那さんが感じている痛みの数百倍の痛みを感じて来たのですよね。ならば数百回殴らないといけないのです。これは明美さんのためだけではないのです。全人類のためなのです。
他人に及ぼした害は、必ず自分に返って来ることを証明しなければいけないのです。そうなれば、人々は平和に暮らすことができるでしょう。自分は危害を加えられたくないのですから。だから、明美さん。もっとやって下さい」
明美は成子の言葉に従って、クラブで旦那の顔面を滅多打ちにした。直視できなかったが浩司の顔は原型を留めないほどに歪んでいる気がした。
「ちょっと、一旦やめて下さい」
成子は明美に静かに言った。明美はクラブで打つことをやめた。手からクラブは落ちて、明美自身も地面にしゃがみ込んで頭を抱えた。
成子は縛られている浩司の前に立った。浩司の口元に手を伸ばして布を取ったようだ。浩司のものらしき声が聞こえて来た。
「ヒッー、ヒッー、誰か来て。誰か助けてくれえ」
浩司が叫び出しても、周囲の木々の葉に声が吸い込まれて行くようだ。
「うるさいなあ」
と、成子は言いながら何か細長い物を浩司の口の中に突っ込んだ。
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