白い壁と緑色の屋根の獄に囚われ、、

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 恫喝され、明美は両手を器のようにして床に零れる黄土色の液体を掬った。下痢便を口に入れた。由樹は見ているだけで吐きそうになった。どうして明美は成子に逆らわないのか。  一口に入れただけで、吐き出してしまう。 「おお、おうぇ」  明美の口から下痢便が出て来た。少々液体の量を多くなっていた。胃液が交ざったのだろう。  大便の鼻孔を蔽うような刺激臭と、見苦しい明美の姿によって不快感が最高値に達した。早く帰りたい。  だが、明美は顔を皺まみれにしながら下痢便を飲み続けていた。しばらく見ていると、自分が明美ではなくて良かったという安心感も生まれた。ひたすら一人の女の惨劇を見ていると、この女のようには絶対になりたくない、と思える。 「くっせえな」  電話をした後、ソファに寝転んでいた成子の旦那が明美に向かって怒鳴った。 「ごめんなさい」  明美は仔羊みたいに震えていた。彼女はここに何日ほどいたのだろうか。様子を見ていると、暴力を受け慣れているように見える。だから怒鳴られたりすることに違和感を覚えない。恐らく、これまでの間にも成子から暴行と暴言を受け続けたに違いない。  明美は旦那を殺しても自らの悲惨な生活を変えることはできなさそうに見える。この部屋にいる限り、成子からの無意味な虐待に耐えなければいけないのだから。  ピンポン、とインターフォンが鳴る音が聞こえた。 「清江さん、お寿司が来たようなので玄関まで取りに行ってくれないかしら」  成子が一変して甘い口調で清江にお願いした。清江は、ハイ、と上擦った声で返事をして、そそくさと玄関へ向かって行った。  寿司桶は明美の分を除いて人数分あった。マグロの中トロ、うに、生サーモン、カニ、いくら、アナゴなど、選り取り見取りだった。だが、下痢便臭のせいで食べる気に全くならなかった。 「さ、皆さん椅子に座ってご飯にいたしましょう」  と、成子が言うと、清江もアンジェラもそそくさと席に着いた。緊迫したものを感じたので、由樹も何となく彼女たちと同じように席に座った。男三人も椅子に座った。明美は相変わらず正座をしたまま動かない。成子は食卓の前に立ったまま声高らかに喋り始めた。 「皆さん、我が家にようこそ。目の前にあるご馳走は私から皆さんへの感謝の気持ちです。これから多くの殺人を犯していくことになるでしょう。そのためには結束する力が大事になってきます。  なので、今日のこの時間に皆さんで決起会を行うことにしました。皆さんのコップに私から緑茶を入れさせていただきます。それで乾杯した後、飲み干して下さい。それが皆さんの合意を意味するものとします。もし飲み干さなければ」  成子は床に正座をする明美をチラっと見た。もはや選択の自由はないではないか、と由樹は恐怖を覚えた。合意すれば殺人犯になり、拒否すれば暴行されることになる。こんな理不尽なことはない。元の生活を変える気など、もうとっくのとうになくしていた。どうしてこんなコミュニティに入ったのか。悔やんでも悔やみきれない。旦那デスノートなどやらなければ良かった。  成子が台所から冷えた緑茶のペットボトルを持って来た。全員の目の前に、透明のグラスが置かれている。彼女は一人ずつグラスに緑茶をノソノソ入れ始めた。由樹の前にも成子がやって来た。 「由樹さん。ありがとうね。しっかり者の貴方が来てくれると本当に助かるの。頼りにしているわよ」  緑茶がグラスに並々注がれた。これを飲み干したら由樹は殺人仲間になる。彩花や隆広の顔が思い浮かんだ。助けてほしい。今までこんな感情にならなかった。自分がしっかりしなければ、とずっと思って来たので家族に希望を抱くことをして来なかった。だが、今は切実に隆広に助けてくれと願った。 「では、皆さん。グラスを持って下さい」  周囲を見ると、全員グラスを持っていた。童顔の旦那は自分の妻をまっすぐ見つめていた。東南アジア系の顔の濃い男も黒縁眼鏡のデブも迷いがなさそうだった。アンジェらは動揺しているのか、緑茶が零れるほど震えていた。清江は震えこそしていなかったが、顔が土気色になっていた。由樹は仕方なくグラスを掲げた。 「では、乾杯」  と、成子が言うとグラスをぶつけ合った。ギチリという音が響いた。由樹は成子に従うしかなかった。悲惨極まりない明美のようにはなりたくなかった。
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